算数の教科書は、基本的な構造として
「新しい課題とその解き方 → 似たような問題 → 練習問題」
という組み合わせでできている。
新しい解き方を教えたら、似たような問題でもう一度やってみる。パターンが同じなので、少し自力でできる子どもが増えてくる。
そして、練習問題を解いていく、この過程で自分でできる子どもが増えてくる。
授業の終わりに自力でできる子どもがほとんどになって終了というパターンである。
ドラマであれば、冒頭から布石があり、ドキドキしながら続けてみていくと、クライマックスが最後にやってくる。そのパターンで授業を進めてはいけない。
授業は冒頭からクライマックスがくる。
そして、それを何度も何度も繰り返しつつ、自分のものにしていく。
授業の本当のクライマックスは、一人一人の子どもたちが「今日は新しいことを勉強したけど、自分の力でできるようになった!」と喜べるところにある。
だから、やり方が分からなくなった子どもは教科書を何度も振り返ればいい。家に帰っても教科書を見れば今日の学習が思い出せる。
自信がない子どもは、教科書の練習問題を何度もやればいい。同じ問題でいいのである。むしろ同じ問題を解くからこそ、子どもたちは安心して取り組める。仮に「もう覚えた。」と子どもが言い切るくらいに習熟すれば、それこそ大成功なのである。
新しい問題集を用意して、次々と解かせる必要はない。
次の時間、学習内容はほんの少し難しくなる。
割り算の筆算であれば、あまりが出てくるなどである。
そのたびに「昨日の勉強と、どこが違いますか。」と確認をし、違うところが今日の目標になることを伝え、違うところに着目させながら、授業を進めていけばいい。
めあてをノートに書かせたりするひまがあれば、一問でも多く問題を解いた方がいい。まとめを書いて、文章化するなら、その分も問題を解くことができる。
毎日、その繰り返しである。
繰り返していくうちに、少しずつできるようになってくる。
子どもたちの頭の中に「情報の蓄積」がなされるからである。割り算の筆算を身につけさせたければ、筆算の練習そのものをさせ続けるのだ。
余計な学習活動は混乱の原因であり、習熟の妨げになる。
この間、本当に教科書一本で進めていくことができる。
計算ドリルを宿題にする必要もない。
どうしても家でさせたいなら、教科書の問題を家でもう一度解かせるだけでいい。
新しいことを身につけるときに量が大切だと考え大量の反復練習をさせることがある。
残念ながら失敗することが多い。
筆算の学習のような一定の手順を教える場合は、量よりも丁寧さである。
一つ一つの手順を間違えずに確実に処理できれば、必ず答えに行きつくのである。だから、少ない量でいいから間違えないことを気をつけさせる方が効果がある。
何十問もの問題を宿題にすると、子どもたちの頭の中はどうなるか。ともかく、終わらせなければならないから、「書いた」という事実だけが重要になる。間違っていても、雑になってもいい。終わることが第一目的だからである。
これを
「教科書の今日やった問題をもう一度解いてきなさい。教科書の練習問題の6問だけでいいです。代わりにノートにていねいな数字で書くのですよ。そして、本当にできたかどうか、明日この中の一問だけテストします。」
という方法で出せば、子どもたちの意識も全く変わる。6問だけでいい。同じ問題だから分からなければ前のノートをみればいい。仮に前のノートを丸写しするのではと心配があっても、テストをすると言っているので、それで評価すればいい。
ちなみにできるようになった子どもたちは、前のノートを丸写ししたりしない。
写す方が時間がかかるからである。心配な子どもが写そうとする。自信がないなら前の学習を振り返ることは何の困ることはない。
そのうちできるようになれば、ずるをするかどうかなどどうでもいいことになる。
どの子どももずるするよりも、自分ができるようになりたいと思っているものである。
こうして、毎時間新しいことを少しずつ教えていきながら、同じように練習を積み重ねていくだけで、子どもたちはできるようになる。
そして、こうやってただ繰り返して練習しているだけなのに、子どもたちはむしろ静かに集中して取り組むようになる。手ごたえを感じるからだ。毎時間自分ができるようになっていくことが分かるから、熱中するようになる。
私は飛び込み授業で、算数の授業を丸々一つ授業したことが何度かある。そのたびに同じ体験をする。そして、その姿を一緒に見ている担任も驚く。どうして、こんなに集中していくのか、と。
教科書活用シリーズ
教科書活用1 情報の宝庫
教科書活用2 完成度
教科書活用3 見せない現場の教師
教科書活用4 道に迷う子どもたち
教科書活用5 見せない根拠が粗雑
教科書活用6 手順は教科書通りでいい
教科書活用7 子どものため・教師自身のため