一本の井戸を深く掘る
まだ経験が浅い時には「一つの授業だけを、時間をかけて準備したところで、その後の自分の教師生活には役に立たないだろう」と思っていた。
確かに掲示物を作ったり、指導案の一言一句を膨大な時間をかけてやり直したりしても、それが今後どれだけ自分の糧になるかは分からない、と今でも思う。
しかし、これまでに述べてきたように、原典に立ち返り、授業の原則を自分なりに明らかにしていこうとすると、少し話が違ってくる。
学んだことが、他の学年や単元に汎用できるようになる。
体育の研究で跳び箱の授業をしたときのことである。
指導要領から入り、さまざまな本を集めた。
そこで初めて、跳び箱の技にもたくさんの技があること、その系統、指導法などを一気に学ぶことができた。
器械運動の特徴の理論的な側面も、本から学ぶことができた。
そのおかげで、跳び箱の授業なら、1年生から6年生まですぐにできる自信がある。自習補助で入ったとしても、突然単元をまるごと任されたとしても授業ができる。
跳び箱運動の全体像を一度学んだので、あとはそれを子どもの実態に合わせて調整すればいいだけだからだ。
図工で水彩画の研究授業をしたときも同じだった。
「そもそも水彩画って何?」から勉強したおかげで、プロの使う水彩絵の具と小学校のそれでは、少し違うところがあり、よって指導も特徴的な部分があることも知った。
パレットや筆の使い方も、何年生でも指導ができる。
算数であれば、教科書の構成は(同じ出版社なら)ほぼ同じである。
それを知っておけば、どのような展開で進むかは、一つの学年から推定することができる。
この学年ではどこまで、どんな学習をしておけばいいのかもある程度は分かるようになる。
冒頭の疑問をある先輩に話したときに、「毎年一本でいいから深い井戸を掘っていくと、いつかはそれがつながって大きな井戸になる」というような内容のアドバイスをくださった。
当時の自分には、全く分からなかった。
しかし、今ならよくわかります。
教科の系統に限らず、授業で使う「指導の言葉」や1時間の授業の展開ですら、一度考え抜いておけば、後々にその汎用性は高くなる。
一つの授業から次々と応用例が浮かぶようになる。