研究授業9 指導案はとりあえず書く

学校システム

指導案はとりあえず書く

 指導案は見せるために書く、というよりは、自分のために書くという感覚が近い。
 授業を考えていると、頭の中でさまざまな視点での考えが浮かぶ。
 時間配分の視点、発問・指示と子どもの反応の視点、授業を組み立てる順序の視点などなど、頭の中で浮かんでは消えていく。

 これらを文字に起こさないでいると、考えが浮かんでは消え、視点がばらばらになる。
 そこで、時間の経過に合わせて、何をどのような形で進めていくのかを書いてみることをお勧めする。それが指導案である。

 しかし、その指導案の作成に時間をかけすぎても大きな効果は得られない。

 指導案を緻密に作り込んでいこうとすればするほど、その流れで進めていくという教師自身の思いが強くなり、いわゆる教え込んでいく授業になっていく。
 少しアバウトに書いていくくらいの方が、すっきりして対応しやすくなる時もある。

 また、誤字脱字は避けた方がいいのは言うまでもないが、そこにこだわりすぎて一言一句を何度も何度も推敲するような状態になると、本末転倒である。
 私たちの本業は、授業そのものであり、指導案を書くのはその補強のためである。
 公的な形で記録が残るようであれば、同僚と互いに確認をしあうようなことも必要であろう。しかし、自主的に進めたい研究であれば、努力義務くらいでとどめておいていい。

 私が連続公開授業を行っていた時の指導案を紹介する。
 B4版の紙の左上に指導案のタイトルと授業の日時、そして本時の目標を書いたら、紙の真ん中に教科書のコピーを貼りつけた。教科書はA5版サイズでしたので、見開きで貼りつけても、周りに余白ができる。
 その余白の部分に、「①・・・をする」「②・・・とする」と教科書の内容から線を引き出しながら指導の順番を書いていく。その際の注意事項も書き添えていく。
 これだけである。

 教科書を使って算数の授業を行っていくというアピールの意味もあった。
 これなら、教材研究がそのまま指導案になる。
 むしろ見やすくていい、と同僚からも評判だった。
 自分自身も教科書をどのように使っていくかを考える上で具体的に考えることができた。研究授業を終えた後でも、自分の教材研究はしばらくこの方法でやっていた。

 指導案作成に絶対の基準はない。
 どれもいわゆる「ローカルルール」である。
 「書き方はこうあるべきだ」と主張する方がいたら、その根拠となる考えはどこに由来しているのか、聞いてみるといいです。

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