研究授業 概論
ここでは、研究授業とは
学校現場において、指導案を書き、他人に見てもらい、批評してもらうために行う授業
と定義しておく。
この場合の「他人」とは、同僚、管理職、教育委員会、研究者など教育に携わる大人ということにしておく。保護者の場合は、一般的な「参観授業」「公開授業」ということになるだろう。
「指導案」の形式はいろいろある。その地元で合意されている形式もあれば、教科研究によって、およそが決まった形式もある。学校によって決めている場合もある。
ただ、その時行われる授業(本時の授業)の目標と授業の流れは最低書いてあることとしよう。
「批評」とは、先の「参観授業」との一番の違いであろう。授業を見た人と何らかの意見交流をする、あるいは教えを乞うという場がなく、ふらっとやってきて見てもらうだけのものとは区別しておいた方がいい。管理職は毎日のように見に来ているかもしれないが、それを(仮に偶然にも指導案を書いていたとして)研究授業とは呼ばないであろう。
とはいえ、いわゆる「協議会」という形を設定しなくても、1人の参観者がやってきて、その人と話ができればいいのではないだろうか。
つまり、「研究授業」とは授業者が予め他人に見てもらうことを前提とした計画や準備を行い、授業後に目指した授業の姿と比較の上で第三者と検討すること、と考えたらいいだろう。
長々と説明を書いたのには理由がある。
研究授業という枠の中に、さまざまな方法があるからである。
全く自発的に、教師個人で問題提起をして進めていくものもあれば、学校や研究会などである程度の形式に縛られながら進めるものもある。
中には、学校での研究とは「みなが同じことを揃えて行うべきだ」という主張もある。
同じ指導案の形式はともかく、同じ授業の流れ、同じ形式の板書、同じノートの書かせ方、同じ掲示物、同じ形式のプリントなどなど。学年も教科の領域も異なるであろう授業でも「同じ」であることが要求されることがある。
これは果たして「研究」と呼べるのか、という点については別の項で述べていく。