そもそも国語教育では、何を教えているのか、そしてその内容は子どもたちの読書と関連があるのだろうか。
結論から言えば、国語教育における文学教材の指導は、子どもの読書には貢献していない。
そもそも文学教材の指導は、時間をかけすぎている。時間をかけすぎているために、むしろ分からなくなっている。
例えば、物語を一読した段階で、登場人物は誰がいて、その中で中心人物(主人公)は誰なのかを判断できなければ、その物語を読めたことにはならないだろう。
授業で一番初めに読んだ時点で、登場人物や中心人物の整理をすることくらいは、すませなければならない。(時折複雑なものもあるが、その場合は、教師がさっさと教えていけばいいだけである。)
同じく、状況の設定も一読してある程度の理解がなされていなければならない。時折、誤読している子どもがいるから、全体の場で確認をしていけばいいだけである。
詳しくは文学教材の指導に述べていくが、国語の授業において、当たり前と子どもが思っていることをていねいに扱いすぎて、授業そのものがつまらなくなっている事例は相当数存在する。
学校で文学教材を指導しても、そこで学んだことに汎用性が極めて低い。ある物語を時間をかけて読んだからといって、次に読む物語への理解が深まるわけではない。
だから子どもたちが読書をすることと、国語の授業は直結しないのである。学んでも学ばなくても、読書には何の影響もない。
こうした授業を繰り返しながら、学力調査の結果をみて「子どもが本を読まないから結果が伸びないのだ」などと言ってはいけない。反対に「では学校は何をしてくれるのですか」という外からの問いに答えることができない。
これは文学教材だけでなく、説明文教材でも同じことが言える。
実は、教師も子どもの読解力を高めるために何をすればいいのかがよくわかっていないのが現状であろう。少なくとも、子どもたちが10分程度で読めるような内容を、何時間もかけて授業するならば、それに見合う内容が必要である。
読書指導ラインナップ
本好きにするための指導群
01 図書館は宝の山
02 偶然の出会いを待つために
03 初日の指導は図書館探検
04 図書館利用マナーを教える
05 高学年でも貸し出しは増える
06 読書感想文は書かせない
07 読書量の目安はどのくらい?
08 学級文庫は必要か?
09 読解力と読書は直近では無関係
10 国語教育と読書は別物として考える
11 子どもの目の動きを読む
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