鉛筆の持ち方は文化の伝承である

働き方改革

 子どもたちに鉛筆の持ち方を指導する。
 正しい持ち方を教えるのだが、中には「このままでいい」という子どもの少なからずいる。

 わざわざ変えなくても、特に困ることはない。むしろ変える方が手間がかかる。子どもの気持ちも分からないでもない。

 しかし、こう話している。

「もし、正しい持ち方ができるようになったら、絶対に前の持ち方に戻りたいとは言いませんよ。断言してもいいです。
 なぜなら、鉛筆や筆のような道具は、もう千年以上前からありますが、その間に人間がどう持てばいいかを試行錯誤してきた結果が、今の持ち方なのです。
 人類の歴史が作り上げた持ち方なのです。生まれて10年かそこらの君たちがかなうわけがありません。」

 人間が、この身体の構造を踏まえたときに、最も合理的な動きを得るために、編み出される技があちこちに存在する。

 そうした技は道具の中に織り込まれ、今当たり前のように使っている。台所の道具、大工の道具、生活をするための椅子や机や寝具などの道具、あらゆるところに気づかないうちに織り込まれている。

 そうした特徴を理解し、適宜教えていくことは、そのまま人間の身体の構造を理解させることにつながり、同時に文化の遺産を継承することにもある。

 おそらく鉛筆の持ち方は、これ以上の進化はないだろう。もはや完成された形状なのである。鉛筆がペンになったりと機能的な向上はあるだろうが。

 こう考えると、進化の過程の一つに、洗練された無駄のなさという方向性を見出すことができる。

 文化の発展というと、いろいろなものが付加され複雑になっていくことを、何となく想像しがちだが、逆に試行錯誤の結果ムダがそぎ落とされていく過程もあるように思える。

 教育の中で文化の継承を考えるときに、このシンプルさも大切な視点である。

 そういえば立ち居振る舞いや所作にも華美なものよりもシンプルなものが好まれることが多いように思える。

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