就学前の平仮名教育

初等教育論

就学前の平仮名教育

 小学校に入学した時点で、子どもたちの平仮名の習得率に信じられないような差が開いている。

 すでにすらすらと読める上に、文字も書ける子どもがいる。
 教科書程度の物語なら、下巻の最後に載っているレベルのものでもすぐに読める子どももいる。
 反対に、自分の名前すらおぼつかなく、よって当然書くことも皆無という子どももいる。

 子ども自身の特性によって習得が困難な場合もあるだろう。
 それと同時に、在籍していた園や保護者が、就学前の教育をどう考えていたかにも大きく影響を受けている。

 文字習得の臨界期は5歳くらいだと言われている。子どもたちが最も文字を読みたく思う時期は、入学の時には終わっているのである。

 日本の小学校が満7歳のうちに入学すると決まっているために、ずれが生じているだけである。
 しかし、就学前は義務教育ではないために、臨床的に5歳から指導すべきだと分かっていながら、それを全ての子どもにできないことが問題なのである。

 その上、学校自身も入学してから教えるカリキュラムになっているから、それでいいと思っている場合もある。中には、学級の中で違いが生じることを嫌がり、園で教えることを好ましく思わない担任もいたりする。

 文字の読めない世界は、大人には想像しにくい。
 そこには、物が存在するだけである。名前のないものは、他との区別がつかないために認識がされにくい。名前を持つことで、他の別のものと区別して認識される。

 すでに文字が読める子どもたちは、居ながらにして膨大な量の情報を収集している。読めない子どもとの差は、日を追うごとに、開くばかりなのである。

 小学校での図書の時間、すでに文字が読める子どもたちは、本からも次々と情報を習得できる。
 一方で読めない子どもたちは、絵を眺めているだけである。その絵が何を意味しているのかも理解していないかもしれない。

 文字が読める子どもたちは言葉を習得しているから、話し言葉の理解も相対的に速くなる。意味が分かるからである。

 大人は建前だけでなく、子どもの現実を直視すべきである。これは高等教育における受験格差よりも深刻である。子どもが黙っているから気づかないだけである。

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