原初的おもしろさ その2
お気づきだろうか。この原初的おもしろさを体感させるには低学年の体育がとても重要な位置をしめている。
開脚跳びをさせる前に、いろいろな跳び方や腕支持の運動が「アナロゴン」として配置されてある。その学習で十分な体験をしておくことが、跳び箱運動への布石になっている。
開脚跳びを成功させるには腕支持による体重移動ができる必要があることはずいぶん前から明らかになっている。
手首を支点として、それより肩が前に出るときに恐怖を感じるようであれば、どれだけ筋力があろうとも開脚跳びはできない。肩が前に出ることで大きく跳躍ができる「ふわっと」した感覚を掴ませることが跳び箱運動の「原初的おもしろさ」である。
さて、人間の感覚とはおもしろいもので、ずっと体感していると、良くも悪くも「慣れて」くる。始めはおもしろかった感覚も色あせてくる。そうすると、一層刺激的な感覚を味わいたくなってくる。難度を上げていくことで次のおもしろさを体感しようとする。
それが技の追求である。
つまり、新しい技に挑戦させるためには、今できる技を十分すぎるほど体感させておくのである。
同じ開脚跳びでも、踏切位置をなるべく後ろに下げたり、跳躍時の高さを高くしたり、着地の位置を遠くにするよう目標を決めたりする。
いわゆる「大きな跳躍」を目指させる。段の高さはそのままでいい。跳躍そのものを大きくさせるのである。
それで得た跳躍のおもしろさの感覚に慣れてきたら、子どもたちは自然と次の技に向かいたくなる。
子どもたちが次のステップに行きたがらないとすれば、それはまた心地よさ、おもしろさを十分に体感していないからである。
一つの技を飽きるまでさせる。そして、同じ技の中で難度を高くし、おもしろさをずり上げるように高めていく。
そのためには、先に述べたように主運動の時間を十分に確保した学習が必要となるのだ。
絶対的な時間量の確保ができなければ、どうしても「飽きるまで」楽しませることができない。「原初的おもしろさ」の体感が足りないままで、難度の高いことに挑戦させると、「根性」「努力」の体育になる。
初等教育では、これが生涯にわたる運動嫌いをつくる要因になると私は考えている。
子どもたちを運動好きにするには、今おもしろいと思う運動に飽きるまで体感させることが前提条件となる。
体育指導 楽しい授業づくりの超基本シリーズ
14 成功する授業の視点「高田四原則」
15 授業の基盤「原初的なおもしろさ」
16 十分な感覚の体感と技の向上
17 感覚の進化で授業を組み立てる
18 勇気も根性も不要
19 「体育が苦手」はどこから来るか
体育指導 研究と実践シリーズ
20 研究「ICT教育」
21 研究「主体的・対話的で深い学び」
22 教えることをためらわない