席替えは小さな「初期化」
学級編成という仕組みは、従来の子どもを取り巻くネットワーク環境の中ではありえなかった異質なものであることは先に述べた。
それゆえの黄金の三日間なのである。
これを年に何度も繰り返していくと、初期化の対応を何度も行わなければならず、精神的にもかなり負担が生じる。
かといって、関係を固定化すると「箱型」に近い状態となり弊害も出てくる。
そこで登場するのが席替えである。
教師から見れば(まさに前から見下ろせば)子どもたちの座席がどこになろうとも、あまり変化が内容も思える。(どうせ全員いるんだから、と。)
しかし、子どもたちにしてみれば全く話は違う。
子どもたちは、座席の中にいる。周りは友だちだけであり、その距離感からも、客観的に見るのは難しい。
その上子どもであるから、どうしても物理的な距離と視界の範囲に影響を受ける。
教師でも同学年を組むのと組まないのでは、ネットワークのリンクの太さが全く違うのはお分かりのはずである。
定期的な席替えは、学級編成ほどの効果はないが、小さな人間関係の初期化を促す。
物理的な距離によって構成されていたリンクを一度、軽く切ってみるのだ。
子どもたちの中にはすでに多様なリンクが張り巡らされているので、学級編成ほどのインパクトはない。それでも、教室の風が変わるような感覚にはなる。
子どもたちも、全ての友だちと等しくリンクを形成しているわけではない。だから、今までリンクの薄かった友だちが隣に来ると、リンク強化のためにも日々を過ごすことになる。
しかし、席が離れたからと言って、全く疎遠になるわけではない。
教師が二人組の関係を意図的に強化しておけば、多少の席の距離が生まれたとしても、記憶によってネットワークを維持できる。
こうして、定期的な席替えは、これまであったリンクをあえて切りながら、(それでも簡単には切れない)新しいリンクを形成させることで、全体のネットワークを強化するという意味合いを持つ。
もちろん、教師がそういう仕掛けをこれまで以上に続けていかなければならない。
これによって、学級で過ごす時間が長くなるほどに、教師の意図によって、学級全体のネットワーク率はゆるやかに高くなっていくはずである。
物理的な距離に影響を受けやすいという子どもの特性を踏まえたときに、席替えというシステムはネットワークの小さな初期化に大きく役立ち、結果として子どもたち個人それぞれに強いつながりを生み出す起爆剤となるだろう。