「みんな仲良く」からの解放
学級を「箱」と見るか、ネットワークと見るかで、見えるものが大きく変わってくる。
その一つが「みんな仲良く」である。
結論から言えば、学級全員と同じように仲良くなる必要はない。
もっと言えば、それは無理な話である。
学級に30人程度の子どもたちがいる。その全員と等しく仲良くなるなど、できるわけがない。
教師ですら、職員室の中の親密さは違うだろう。
この「仲良く」という言葉が、そもそも問題なのである。
この場合の言葉は「スローガン」的な意味合いしか持たず、子どもたちに具体的な行動を示しているわけではない。
教師としても、どちらかと言えば「お互いにけんかをしないでね。」という意味程度にしか扱っていない場合が多い。
それでいながら、例えば席が隣になったり、何かの活動を一緒にしたりするときに、トラブルを起こすのは困るから「なかよくしなさい」という言葉になってしまうのだろう。
いわゆる言葉通りの「なかよく」と、「けんかをしないで」という意味と、「学習などで協力する」ということを、本来ならば使い分けなければならない。
言葉の雑な使い方が、学級経営そのものを混乱させている。
「仲良くしましょう」と言わずに「困っている友だちがいたら、声をかけてあげましょう」というようなもっと具体的な言葉を使うようにする。
あるいは、高学年でグループ活動などが積極的に行われるときは、「気が合う、合わないとは別に、学習で協力するためにはどうしたらいいか」という具体的な友だちとの関わり方を指導するべきであろう。
仲良しでなければ勉強ができないということの方が、社会に出たときに通用しない。
あるいは席替えのたびに、隣同士のネットワークを強化させながら、(参考)よく知らない友だちと仲良くなる方法を具体的に示していくような方法を採る。
また、学級経営をたえざるネットワーク形成の過程だととらえるならば、「話せる友だちを増やしていこう」というような言葉も使うことができる。
(あくまでもスローガンであり、強制するものでもないが。)
私は、子どもたちに「みんなと仲良くなる必要はない」とはっきり話していた。話したからと言って、学級の輪が乱れるというようなことは少しもない。
「みんな仲良く」などとできもしないスローガンを掲げるより、みんないろんな考えの人がいるからおもしろいよね、と話していく方がはるかに説得力がある。
子どもへの言葉シリーズから参照 「みんなと仲良くなる必要はない」