学級経営とはネットワーク形成の絶えざる過程である
学級を「箱」だと考えれば、「箱」の構成要素である子どもたちは、ある一定の目標に従い行動の基準が決められ、同化しつつ、その目標に向かうことが活動の中心となる。
しかし、学級を「ネットワーク」だと考えれば、この発想は前提から疑う必要が出てくる。
ネットワークに完成はない。こういうネットワークができれば、あとは解散していいというゴールは存在しないのである。
そこには、絶えざる過程があるに過ぎない。
個々の子どもたちから出されるリンクの数は増えていくかもしれない。また個々のリンクもより強固になっていくかもしれない。
反対に、子ども自身の変化や成長によって、時には弱いつながりになっていくリンクもあるだろう。
一部に偏りが出てくるかもしれないし、子どもによってはより広範囲に広がっていくかもしれない。
みんなが全員とつながる必要はない。リンクが同じ強さである必要もない。さらには時間の経過とともに変化しないのがいいわけでもない。
つまりネットワークは絶えず変化し続けていく、それだけである。
子どもたちがこれからも成長し、多くの人と関わっていくことを考えれば、より多くの人と多様なネットワークを形成できる能力を身につけさせた方がいいだろう。
形成されたネットワークをより強く安定的なものにするための方法を教えておけば、困ることは減っていくだろう。(その力をいつも使う必要はないが。)
教師が教えることは、マナーとルールを基本としたリスペクトの態度。
そして、学習を中心としたより高密度な情報交換の方法だけではないだろうか。
そうすると、そもそも学級目標なるものが必要なのかという意見も成立するのだ。