第2章6節 「箱」の中の異端はネットワークで人材となる の続き
学級の「初期化」 高ストレスと情報収集
学級編成が行われた四月の始まりを、「黄金の三日間」と呼ぶことはすでに現場で定着しつつある。
すなわちこの始まりの時期は、教師の指示が最も通りやすいので、この時期に学級の基盤を作ることが重要という意味での「黄金」なのである。
この「黄金の三日間」の原理をネットワーク論の立場に沿って明らかにしていく。
人間という生き物が、ネットワークを形成することで生存力を高めてきたことは、これまでも述べてきたとおりである。
他の生き物から身を守るためだけでなく、人間同士の争いの中で生き残るためにもネットワークは必要不可欠であった。今もその原理は変わらない。
だから、生きるための基盤としてのネットワークをどのように理解し、把握していくかは、一人一人の人間にとって重要な情報となる。
他者との関りや自分の立ち位置を常に頭に入れながら生きていくのは、人間としてのある意味「宿命」ともいえる。
さて、ここで「学級編成」つまりクラス替えの話である。
もし、原始社会のままで子どもの立場にあれば、家族を中心としながらネットワークに大きな変化はないだろう。その中である種の安定的な関係をずっと維持できていたはずである。
それが、現代の学校制度では、生活の大半を学校で過ごすことになり、それが1年あるいは2年で、構成メンバーを大きく変更させられる。それも半ば強制的に、である。
いわば人間関係の「初期化」である。
ネットワークを構成することが生存の基盤である人間(特に子どもでは)にとって、これは高度のストレスとなる。つながりのない人間の存在は生物的にも精神的にも極めて脆弱なのである。
今までに作ってきたネットワークを、ほぼゼロに戻した状態からやり直すのである。
断ち切られたネットワークを再構成することになる。
リンクを断ち切られた子どもたちは、ここからどうやって新しいリンクを作ろうかと情報を収集することになる。
誰と仲良くなれるのか、誰の存在が強くなるのか、自分の立ち位置はどのようになっていくのか、などを情報収集していく。
この情報収集は決して、積極的に話しかけるという方法だけでなく、むしろ知覚を全開にして周りを見聞きしているという状態が近いかもしれない。
さて、その中でただ一人だけ、強く大きな存在に見える人物がいる。それが担任教師である。
この教室という閉ざされたように見える空間の中で、ただ一人の大人であり、その人はちりあえず自分よりもいろんなことを知っているように見える。
ネットワークのリンクが断ち切られている初期化の状態の中では、一番頼りに見える存在が担任教師なのである。
子どもの立場にしてみれば、まずは教師とのつながり(リンク)を求めようと思うのは当然の流れであろう。
だから、(不安な子どもたちから)期待される教師は、その立ち居振る舞いによって子どもたちの期待に応えていく必要がある。
まずはその言葉のメッセージ性である。
声の大きさや表情、立ち姿、言葉の質や内容は、初対面の相手に与える印象として重要なことは言うまでもない。
人として引き付けるということは、他者がネットワークのリンクを望む存在ということになる。
そして、具体的なメッセージも必要だ。
子どもたちに安心を与え、未来を見せていくことで、子どもたちを引き付けていく必要がある。
それが学級における「所信表明」である。
さらには、教師が子どもたちの名前を一人一人呼ぶ。
子どもにしてみれば、名前を読んでもらえることは「私はあなたとリンクをつなぎますよ。」というメッセージになる。
子どもたちが安心することは間違いない。
そうした一連の活動の中から、学級の中におけるリンク再編成が始まる。リンク再編成の第一歩が、教師から全ての子どもたちへのリンクなのである。
子ども同士のリンクが切れているあるいは脆弱な状況の中で、まず教師とのリンクが形成されることは大きい。
子どもはそのリンクを頼りに当面は生活ができるからである。
だから、子どもが先生とつながりたい、あるいは先生は自分とつながってくれた、と思ってもらえれば、初日は成功と言えるだろう。
こうやって「黄金の三日間」をネットワーク理論で見たときに、原理が何であり何をなすべきかはイメージしやすいであろう。
ただし、教師が「一緒に楽しく過ごそうね」というだけのメッセージでは多少弱いのだ。
三日間のうちに、教師は次々に手を打ちながら、子どもとのネットワークを強化しつつ、そこからメッセージを送り続けていかなければならない。
その詳細については、以後述べていくことにする。
第3章2節 「学級ネットワークで最も強い存在」 へ続く
本編 「21世紀型学級経営 学級ネットワーク論」