第1章4節 「箱」をはずすと学級は「ネットワーク」に見える の続き
ネットワークは人類が生きるための固有の能力
人間がまだかなり初期の段階、木の上での生活をやめ地上に降りたころの話である。
今よりもはるかに小さく、そして他の動物と比べると生き残るための「武器」が特別に備わっていたようにも見えない存在だった。
その人類が、今日に至ってこれだけの繫栄をつかめたのはなぜか。
火を使えるようになっていたこと、言語が他の動物よりも著しく発達できたこと、(他の動物も言語らしきものはあるが人間ほどの幅広さはない)道具を使えるようになっていたこと、自己の意識が発達したことなどさまざまある。
その中の一つに、集団で生活ができたことが挙げられる。
弱く小さな存在だった祖先は、集団で生活することで自己の保全を図っていた。
基本の集団はまず家族であり、その家族を複数結び付けた集団が構成されていた。
この集団はいつも決まった大きさではなく、環境や食料に応じて規模の変化はあったらしい。
この集団構成が、人間の生存の可能性を大きく高めていく。
家族(血縁)という強いつながりと、家族間をつなく社会としての比較的弱いつながりを相互に組み合わせながら、集団で生きてきた。
はじめのうちは、共同で食べ物を探したり、他の生き物から身を守っていくことが目的だったのだろうが、それが次第に変質していく。
食べ物が不足してくれば、他の集団から取り上げなければならない状況が生まれる。
つまり、人間の敵は、同じく人間であるという構造が生まれていく。
この過程において、集団はとりあえず他よりも大きい方が強くなる。しかし、大きすぎるとまとまりがつかなくなる。
すなわち人間関係のネットワークは複雑化せざるを得なくなってきている。
そうした矛盾の中で、それでも集団の規模は大きくなっていった。
自己の集団の中では、互いにつながり帰属意識を持つ。
他の集団とは明確な一線を引き、対立、交渉、融合などが行われていく。そうやって、人間は集団を無制限に大きくしながら、今日まで来た。
現代社会は、その歴史の結果なのである。
つまりネットワークを形成するという能力は、ずっとずっと古くから人間が生存していくための重要な要因として機能してきた。
他者とどのようにつながっていくかは、常に「自己の生存」と背中合わせの問題である。
そして、調整の機能は次第に発達していったのである。それが、アイコンタクトであり、言語であり、ゼスチャーであり、いわゆるコミュニケーションと呼ばれるものすべてを指す。
ネットワークという言葉を聞くと、インターネットを想像するが、逆である。
ネットワークという機能はすでに人類社会がもっていた不可欠な武器だったのである。
インターネットという機能は、人間社会の本質を機会とシステムによって進化拡大させたものにすぎず、原理は人間そのものが古くからもっていたものである。
教育の世界において、他者とのつながりを教えていくのは、人類が生きるための必然的な能力だからに他ならない。
道徳やルールの問題である以前に、生存のための必要条件であったと言っていい。
しかし、個々のコミュニケーション能力だけを教育するのではなく、ネットワークとは何か、いかにして発展させ、その中で生きていくかも、教育をしなければならない。
インターネットは、人間が元来持つ機能の拡大版ではあるが、その能力によって人間そのものの持つネットワーク機能も新しいステージに入っている。
第2章2節 ネットワーク理論の基礎1「ノード(点)」「リンク(線)」 へ続く
本編 「21世紀型学級経営 学級ネットワーク論」