初任者研修1 掃除やお茶くみはいらない
初任者が赴任してきたときに、指導の一環として学校の正面玄関の掃除や、校長のお茶くみ、あるいは先輩諸氏の机の拭き掃除をさせるところがある。
地元でもさせるところと、そうでないところがあるので、一概には言えないが。
個人的な結論から言えば、このような昭和的な新人研修は不要である。自分もやれと言われなかったせいでそう考えるのかもしれないが。
いわゆる初任者研修制度が定着し、制度としてどっかり現場に定着し始めたころから、指導の一つとしてお目見えしてきたような気がする。(正しくは分からないが。)
とはいっても必須ではなく(制度としては存在しない。)あくまでもオプションである。
個人的には机の上を掃除されるのは嫌いである。
私は、基本的に机の上はフラット(何も乗せていない。)にしている。忙しい時にためることはあったが、何もない時の方が多い。
だから、見られて困るようなものは何もないのだが、それでも人が自分の机の上を掃除するという感覚がいやである。
同僚には、それはもう机の上が大変な人が多かったが、(デスクマットに山のように突っ込んでいる人も多かった)あの人たちは、後輩が自分の机の上を掃除することを何も思わないのだろうかと素朴に思っていた。
以前は校長室の学校長の机の上も雑巾がけさせられていたのもみたことあるが、機密情報管理上、問題はないのかとも思った。
他人の机の拭き掃除をさせる暇があるなら、自分の文書管理をスキルとして徹底する方がはるかに意味があるし、重要である。
玄関掃除をさせることもよく意味がわからなかった。
仮に玄関をきれいにすることが本当に目的なのであれば、これはもう全職員で分担すべきであろう。
初任者のいる年だけ、正面玄関がきれいになるのはおかしい。
正面玄関をきれいにする暇があるのなら、教室管理をスキルとして身につけさせる方がはるかに重要である。
同僚や先輩へのお茶くみなど、本当に昭和のドラマかと思うような話である。
それを人への気遣いだというのなら、もっとするべきことはある。
そもそも2年目からしなくなるのであれば、全く意味はない。2年目以降もするのであれば、いつになったら辞めるのかもわからない。
後輩が先輩のお茶を入れるべきかどうかも疑問である。みんながお茶が好きなわけでも、いつでも飲みたいわけでもあるまい。その人が欲しい時に欲しい飲み物を出すわけでもあるまい。
学年の打ち合わせが一段落して、ちょっと休憩しようかというような話になったときに、お茶を入れましょうか、という話とは違う。
何が言いたいかといえば、要するに暇だったのだろうと思うのだ。
それが社会人としてのマナーの一つ、というような考え方だったのだろうと推察する。
しかし、そんな暇があれば、教材研究の一つでもさせればいいのに、とずっと思っていた。
学校現場は、大学でまともなことを学んでこない。(教員養成系の大学のカリキュラムには言いたいことが山のようにある。)
現場に入って、身につけなければならないことが山のようにある。そもそも専門職なのである。
それを朝から玄関掃除して、お茶入れて、ぞうきんがけをさせるほど現場は暇なのかと今でも思っている。
昭和的だと言ったのは、一つの職業を全うし、年功序列社会の中で生きていくというシステムであれば、若者の「初任者研修として」ありかもしれないという意味である。
しかし、もはやそんな時代ではあるまい。
専門的なスキルを身につけ、知識を学び、そうでなくても忙しい日々をこなしていかなければならないのである。
これから職業の流動性が高まり、転職が頻繁に行われるような社会になれば、教師の世界とて、同じように変わっていくだろう。
若い人も次々転職するかもしれない。一定の経験を重ねたのちに、新任として現場にやってくる人もいるかもしれない。
そんな中でのお茶くみなどもはや笑い話ではないか。
全国の現場で、今の社会の変化に対応した初任者研修がなされていることを祈るばかりである。