三月子どもは最後まで成長する
三月、修了式まで残りわずか。
学習もほぼゴールが見えてくる。
新年度のことを考えるにはいい時期だと述べた。(参照「3月の学級経営の感度」)
しかし、子どもたちは最後まで成長する。それも時に大化けする。
それは思いもかけないドラマになることもある。
決して最後の日まで、指導の手を緩めない。消化試合にするなどもったいない。
<文章に目覚めた?>
かつて、日記を毎日のように書かせていた。
3月のある日、自由テーマで書かせたときに、ある男の子が随筆ような文体で突然素敵な文章を書いてきたことがあった。家の庭にある花壇のことである。
えらくよかったので、教室で紹介がてら読んで聞かせた。学級通信にも紹介した。
それから、突然その子は日記に目覚めた。
書いてくるもの、書いてくるもの、全てがいい。短い文なのだが、心にふっと感じ入るような素敵な文章である。
実は、年度の始めにはよく日記を書かずに来ていた。私もよく叱っていたような子どもなのである。
何のきっかけで目覚めたのか分からない。しかし、その日は突然にやってきた。
<卒業式のけじめ>
ある年の卒業式の日。
もう式も終わり、学校の正門まで見送られ、みんなで別れを惜しんでいた時である。
女の子が二人、私のところにやってきた。そして、いうのである。
「先生、私たち仲直りしました。」
小学校の卒業式も終わったのである。互いにけんか別れしたままでも、中学へ進学はできる。クラスや部活も違えば関わりもなくなるだろう。
仲直りしなくてもよかった二人は、最後の最後で自分たちで仲直りをし、そのことをわざわざ担任である私のところに報告にきた。
それがきっと彼女たちのけじめだったのだろう。
終わりにあたり、一つ壁を乗り越えて卒業できたのだろうと、思っている。
<崩れていく壁>
異動してきたばかりで、6年生担任を持った。
実は昨年荒れていたという学年である。学級編成をして組み直しているとは言え、まだまだ予断は許さない。
そんな学年を飛び込みで受け持つことになった。
この学年では特に女子のタイプがいくつかにはっきりと分かれていた。
クラスにも、ちょっと斜に構え反抗的な態度を見せがちなグループと、そのグループには関わらないような比較的おとなしいグループがあった。
これまでの歴史もあるだろうからと、特別に仲良くなるような直接的な指導はしてこなかった。
しかし、これが2月から3月にかけて休み時間の過ごし方が、明らかに違うのである。
先ほど大きく2つのタイプがあると話したが、いつの間にか混ぜ混ぜで雑談をしているのである。
休み時間の雑談である。教師の入る隙間などない。
気が付いた私の方が驚いた。一日だけではなく、それは卒業まで続いた。
当然のことながら、子どもたちの表情は柔らかい。笑顔で楽しそうに話をしている。男の子とも話をしている。
学年の雰囲気がいやで私立を目指していた子どもが、みんなと一緒の学校にしておけばよかったと言っていたと保護者からの話も聞いた。
その年、卒業式の日にある子どもから手紙をもらった。中には
「先生には、友だちの作り方を教えてもらいました。」
とある。正直な話、その子に手取り足取り何かを指導したことなど一度もない。しかし、感じるところが何あったのだろう。
彼女が今まで話したことのないようなタイプの友だちと仲良くなり、それをよかったと思って卒業できたことは、教師として嬉しい限りである。
<朝勉強>
ずっと不登校気味だった子どもがいた。
その子が3月になって突然「勉強したい」と言い出した。
ほとんど授業も受けていない中で、残り何ができるかと考えた。
二人で「朝勉強」をすることにした。
期間にして20日もない。朝、20分ほどみんなよりも早めにきて、分数のかけ算とわり算だけ勉強することにした。
個人的な朝の勉強は、後にも先にもあの子だけである。
彼は途中投げ出すこともなく、毎日「朝勉強」にやってきて(つまりそのままずっと登校して)卒業式を迎えた。
<だから子どものエネルギーを信じて>
自学の量が加速度的に増えた子どもや、討論の授業で切れ味がさえわたる子ども、友だちが増えて急に明るくなった子ども、読書する子ども・・・3月の急成長はいくらでも思い出すことができる。
もう少し早く変化が訪れれば、さらに成長したかもしれないのに、と思うのはぜいたくなのかもしれない。
ずっと蓄積してきたエネルギーが最後の最後で解放されることだってある。
6年生の卒業式を「最後の授業」と呼ぶことがある。
私は本当にそうだと思う。
正門で見送り、別れを告げるまでが授業である。自分が教師として子どもの前に立つ限りは、それが最後まで授業になると信じて、別れまでの時間を過ごす。