子どもたちに話をすることがある。
「算数ができるようになることと、あいさつができるようになることを比べると、長い人生の中ではどちらが大切か。先生は、あいさつを取る。」
「ではなぜ『あいさつ』という教科がないのか。算数はまとまった時間をかけて勉強しないと身に付きにくい。これに対してあいさつは、授業の中で何度も練習するのは意味がない。、
人と出会ったときそのものが練習であり、本番だからだ。」
「あいさつができると、中学校やあるいは社会に出ても、年上や目上の人からかわいがられる。同世代とはなかよくなれる。」
「あいさつが本当にできるようになるのに、どのくらいかかると思いますか。」
と子どもに聞くことがある。
子どもたちは、1週間から数年までそれぞれいう。
私は30年、50年という時間がかかると思っている。
学校の桜の葉が秋に散り、校庭の周りの道路に枯れ葉が落ちる。それを掃除に行くのが教務時代の秋の恒例行事だった。(春の散った後も大変だが)
一人で道路を掃いているときに、声をかけてくれる人のほとんどは高齢の方である。
下校指導中に道路に立っていて、一般の方が通るときに「ご迷惑をおかけしています。」と一言添える。それに答えたり、逆にお礼を言ってもらえたりするのも、大半が高齢の方だ。
私も気軽に声をかけられるようになったのは、つい最近だ。これだけ子どもたちに指導をしながらでも、自分が社会の一員としてあいさつが自然にできるようになったのは時間がかった。
この話を子どもたちにもする。
今すぐ、完全にできるようにならなくていい。しかし、今がその第一歩だと伝える。
ちなみにあいさつの指導をきちんとやっておくと、6年生の卒業式の練習の時に、余計なことで叱らなくていい。子どもたちは礼の仕方については、その意味も方法も理解できている。式の時だけ形式を整えようとすると、子どもたちを号令とともに反射的に行動させるような指導しかできなくなる。
朝の会・帰りの会・あいさつシリーズ 子どもに所作の美しさをマナーの大切さを少しずつ教える
朝の会は基本的に不要
帰りの会も基本的に不要
あいさつの所作1 基本 朝のあいさつ
あいさつの所作2 応用 帰り・給食のあいさつ
あいさつ 個人でできてこそ
あいさつ その価値を教える
所作が美しい子ども お礼が言える子どもを育てる
中途半端な活動は負の教育になる しなくていいことを教える教育