通信表の所見 それは過去を見るもの

教育技術シリーズ

通信表の所見の書き方 その3

 個人的には、通信表にかける時間やエネルギーはそれほど大きくなくてもいいと思っている。
 それは通信表が過去を見るためのものだからだ。

 どれだけていねいに時間をかけようとも、それが過去を振り返るためだけにしか使われないのであれば、それほどの意味を持たない。
 そこにあふれるばかりの思いで言葉をつづるくらいなら、新学期にその言葉をかければいい。
 子どもへの言葉であれば、指導できるタイミングで直接言葉をかける方が、何倍も何十倍も効果がある。

 文章を何度も推敲し、一字一句を考え抜くのも誠実であろうが、その時間を未来の授業の教材研究にあて、今後さらに楽しい授業を作った方が効果がないだろう。

 小学校の成績や所見を大人になっても覚えている人は少ないだろう。よほど印象的だった時の一部を覚えていても、毎年、毎学期の記録を全て記憶している人はほとんどいない。

 それでいいのである。

 子どもの目は、過去を見ていない。今を見て、未来を見ている。

 未来の方がはるかに長い。
 そこにわくわくとした夢を描いている方が、自然な姿に思える。

 教師もあの時はこうだったと思い返すより、次はどうしようと考えていく方が大切だろう。そして、その方がはるかに楽しくないだろうか。

 子どもたちは、終業式の日に渡された通信表をどきどきしながら見る。
 しかし、見終わった瞬間に、もう視線は未来である。それでいいと思う。

 担任時代、所見は一発書きだった。
 PC入力の時ももちろんだが、手書きも清書一発である。それも30数名を2時間から3時間程度で書き上げていた。
 腹を決めて、一人一人を思い出し、子どもたちが未来を生きるためになんと言葉をかければいいかを考えれば、不思議と言葉が出てきた。

 優れた文章だったかと言われれば、とても自信はないが、子どもや保護者が読んで元気が出るように書いたという自信だけはある。

通信表の所見シリーズ
 1 指導に一貫性を持たせよう
 2 所見ではほめよう
 3 それは過去を見るもの
 4 自分の書き方のパターンをつかむ

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