通信表の所見の書き方 その2
所見は基本的にほめておくべきだと考えている。
仮に、学級担任が学期末に校長面談をすることになっていたとする。
その面談において、「あなたの指導は、ここが悪かった。」と指摘されるのは気分がいいものではない。
それでも指導は受けるべきだろうから、真摯に耳を傾けるべきともいえる。
問題は、内容ではない。時期である。
あれこれ指導を受けたときに、言われることはもっともであっても
「どうして今言うの?」
と思ってしまうだろう。ずっと気になっていたことを今まで知らんぷりしていたのですかという気持ちになるのも無理はない。
子どもへの所見も同じである。いや、子どもの時間感覚からすれば、さらに重要である。
課題はすぐに指摘し、その場で改善した方がいい。
仮に保護者に伝えなければならないとしても、連絡帳でも電話でもいいからすぐに伝えればいい。「それって、今言う?」と思われれば、効果は半減である。むしろ反発されるかもしれない。
日常生活で、ていねいに指導を繰り返し、学期末になって成長が見られたら、そのことを所見に書けばいいのだ。
だとすれば、所見はほめ言葉が内容の中心となることは自然の流れだろう。
私は、子どもが大人になって自分の通信表を見たときに「あ、自分はまんざらでもなかったんだな。」と思えることが書いてあればいいと思っている。
今の子どもたちへのメッセージであると同時に、未来へのメッセージにもなる。それは通信表が書いたものとして残るからである。
所見だけで子どもの人生が大きく変わるとは考えにくい。そうした文章を書ける教師は、すでに日常生活で子どもたちに適切な言葉をかけているはずだからだ。
長期の休みの直前に受け取る通信表の言葉、何を書けば子どもたちも自分を前向きにとらえていけるかを考えて内容を考えると、大きな方針は決まりそうな気がする。
時折「必ず指導すべきことも書くこと」という先輩教師や管理職もいることを念のために付け加えておく。マイナスを必ず書け、というのもなんだか寂しい気もするのだが。
通信表の所見シリーズ
1 指導に一貫性を持たせよう
2 所見ではほめよう
3 それは過去を見るもの
4 自分の書き方のパターンをつかむ