第1章3節 教室という「箱」の存在が教師の思考を縛ってきた の続き
学級を「ネットワーク」とみる
頭の中で想像してほしい。
何らかの意図や目的もなく、たまたま偶然でそこに居合わせた数十人の子どもたち。
その子どもたちが、広い運動場の真ん中にいる・・・・。
今、子どもたちにあるのは、互いの「つながり」だけである。
子どもたちの外側にある「所属」という箱を取り払うと、子どもたちどうしのつながりだけがイメージできる。
すなわち、学級とは、子どもどうしのネットワークだと考えることができる。
インターネットの出現によって、人と人とのつながりがイメージしやすくなった。
しかし、インターネットの出現よりもずっと前から、人と人とはネットワーク状につながっていたのである。
それをインターネットの存在によって、可視化されただけに過ぎない。
子どもたちも同じである。
4月の学級は、まだ互いのつながりも細く、数も少ない。
やがて、少しずつつながり方が太くなり、数も多くなっていく。そうやって1年間という時間を過ごしていくのである。
そこには、個々に存在する子どもたちと、その子どもたちが互いに「線」のようなつなが無数にあるだけで、全体の形は長方形でもなんでもなく、常に変化し続けるアメーバのようにしか見えない。
外側の箱をあえて見ずに、子どもたちのつながりだけを見ていくと、今までとは違う学級の風景が見えてくる。
しかし、子どもたちは初めから、つながりしか見えていなかったのではないか。
〇年〇組の子どもというよりは、誰と同じ学級で、どんな友だちがいるのか、という視点で学級を見ていたはずである。
それは、昔からそうであっただろうし、これからも変わらないだろう。
教師として、子どもたちを見るときに、この視点を意識すると今までの学級とはずいぶん違った景色が見えてくる。
これが「ネットワーク型学級経営」の骨格である。
第2章1節 ネットワークは人類が生きるための固有の能力 へ続く
本編 「21世紀型学級経営 学級ネットワーク論」