「主体的・対話的で深い学び」と体育
新しい流れを受けて、体育の授業でも「ICT活用」を進めていこうとするだろう。大きくは異論はないが、気を付けることがある。
小学校には各教科に研究団体があり、それぞれが固有の教科研究を行っている。専門性も必要だろうから、それはいい。
しかし、こうした新しいテーマが登場するたびに、どの教科研究団体も自分の教科の中で何ができるかを「最大限」で考えようとする。ICTの導入となれば、体育ではどうしたらいいかをマックスで考えようとする。
試みとしてはいいのだろうが、「それは本当に必要か」というような事例が登場することがしばしばある。
私は子どもたちが自分のタブレットPCで自分の動きを撮って見るという活動に懐疑的である。
やっている割に効果が上がらないと考えている。
跳び箱を跳んでいる瞬間を後から見たとして、子どもが自分が実際に跳んでいる時の体感と、見ている映像がイメージとして合致しているのか、よく分からない。それだけのメタ認知が、発達段階を踏まえた上で、果たして子どもにできるのかという疑問がある。
子どもはおそらく映像を見るだろうが、それを自分の実際の動きに反映するためには、いくつかの思考の段階を踏まなければならないと推定している。
動画を見て分析するのは大人でも難しい。そもそも見るための構成要素を分解できる能力がなければいけない。
例えばプロ野球のピッチャーのフォームがスローで再生されることがテレビでもよくある。しかし、私にはどれも同じにしか見えない。
時折、解説者が説明をしてくれて、動画を制止し「ほら、ここが違うでしょう」と言われて、初めて「見える」ようになる。
しかし、見えたからといって、次に自分がその動きをできるようになるかといえば、それはそれで全く別問題である。もちろんできるようにはならない。
子どもが自分の跳び箱の跳び方をみて何を学ぶのか、その一点だけでもものすごい研究に相当するだろう。こうした研究が進めばICTの活用も新しい道が開けるかもしれない。
実際の研究では「使っている」という程度の報告である。そのうち、バスケットボールのゲームをドローンを使って上から見るとよくわかるのではないか、というような話まで出てくるかもしれない。もちろん、役には立たないが。
今、教科研究という枠の中で、新しいことを論じようとするとこうした間違いや不完全が生じる危険は大いにある。それを真に受けて現場で無制限に取り入れようとすると、結局子どもが困るだけである。
体育指導 楽しい授業づくりの超基本シリーズ
14 成功する授業の視点「高田四原則」
15 授業の基盤「原初的なおもしろさ」
16 十分な感覚の体感と技の向上
17 感覚の進化で授業を組み立てる
18 勇気も根性も不要)
19 「体育が苦手」はどこから来るか
体育指導 研究と実践シリーズ
20 研究「ICT教育」
21 研究「主体的・対話的で深い学び」
22 教えることをためらわない