暗算は必要か
教科書の中にも一部出てくる「暗算」の指導。暗算能力は必要なのだろうか。
子どもたちは算数の学習の中で、筆算にかなりの時間を費やしている。授業だけでなく宿題もその大半が筆算の学習だと言っても言い過ぎではなかろう。
そろばんでもなく、電卓で計算するのでなく、そして暗算するわけでもない。筆算が計算の中心である。
そうした中に、時折ひっそりと暗算の学習が出てくる。「これまでの学習を生かしていけば、頭の中で計算しても答えが出せるね」というような形で出てくる。
そうはいっても、子どもたちもやはり筆算で計算している。教師もおそらくはそれほどの強要もしていないだろう。筆算ができればとりあえず、日常生活には困らないからである。
しかし、暗算能力は、あるならあった方がいい。
まず一桁の加減乗除については、大人になれば大半の人は紙に書く必要はなくなるだろう。ほとんど暗記している人もいるだろうし、暗記していなくても頭の中の計算だけで処理できる人がほとんどである。
これは、(別記でも述べたが)筆算をするときに、一桁の加減乗除がある程度頭に入っていることが求められるという理由もあるだろう。筆算の学習を大量にこなしているうちに、一桁の加減乗除は暗記してしまっているという子どもは増えてくる。
実は、それ以外でも暗算能力はいろいろなところで姿を見せている。「見積もり」という思考は、暗算能力の上に成り立っている。およそどのくらいの答えになるのか見当をつけるという場面は、小学校算数の中にもしばしば出てくる。
そして、この見積もりができる子どもほど、結果的に処理能力が速くなる。
正八角形を作るときに、中心角は何度にすればいいのか、という問題を解くときに(5年生の学習である)、360÷8=45という式がすぐさま浮かぶこと、全くイメージができていない子どもでは、当然ながら差が生じている。
計算機を使えば、あるいは今ならICTがあるから、暗算の能力は不要であるという考えは一見理にかなっているように思えるが、問題の解決に至るまでの試行錯誤の中で、ひっそりと活躍している場合が多い。
算数が得意不得意という現象の見えない部分に、暗算能力の差が存在しているのではないかと思うことが多かった。