【年間授業時数】実際と計算の乖離?
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文科省が現場の時数が多すぎるのではないかという提言をしている。果たして実際はどうなのかを確かめてみたい。
6年生を例に挙げる。
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文科省の示す6年生の時数は1015時間である。これを基準に考えていこう。
実は「総合的な学習の時間」が創設される前までは、各教科の時数は35の倍数だった。つまり、1年間を35週と考え、一週あたり何時間と割り当てていけば、時間割が完成するようになっていた。
「総合的な学習の時間」を創設するときに、何かを削ればよかったのだが、削減対象となった教科の関係者(研修団体、大学、業者も?)は猛反発だったそうで、一つの教科を丸ごと削るのは結局無理となった。
そこで、いろんな教科から少しずつ削って時間を創り出した。だから、今の教科の中には、35の倍数になっていないものがある。
しかし、今なお基準は35の倍数である。
だから、6年生の1015時間を35で割ると、29時間。
つまり、6年生の一週間は29時間が標準となる・・・・と思うのだが、話は少しややこしい。
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教務主任の経験がある方など実際に計算をしたことがある人は知っているだろうが、子どもたちが学校に来るのは35週ではない。
子どもたちが学校に来るのは、だいたい40週くらいである。カレンダーで数えるとすぐに分かる。つまり、5週分多い。時数に換算すると、29時間×5週=145時間。
単純計算だが、こんなに多いんかい!とこの段階では思ってしまう。
話はここから本番である。
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文科省の時数には学校行事がカウントされていない。
特活35時間とは、学級活動の時間であり、行事は一切含まれていない。
また、地域や地方によって独自の時間を創設しているかもしれない。当然それらも含まれない。
つまり、実際は40週学校に来るのに、文科省が教科の時数を35週でカウントすることにより、その差を学校行事などで調整するようになっている、というわけである。
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さあ、ここからが現場の話である。
「145時間の学校行事って、単純に多すぎる」と思った方が多いだろう。
この使い方を試算してみる。もちろん、細かい数はいろいろ違うことは、ご理解いただきたい。あくまでも目安である。
①予備時数
台風などの臨時休校のために予備時数がどのくらい必要だろうか。
各学期に2日分取ると、6時間×2日×3学期=36時間
②運動会
当日に6時間
全体練習 少なめに見積もって3時間 準備などに2時間。
合計 10時間程度。(練習時間を含めていない。)
③学習発表会
運動会同様と考えて10時間程度。(同じく練習時間を含めていない。)
④遠足 2回行けば12時間
⑤健康診断 だいたい10時間くらい。
⑥修学旅行 全部行事なら12時間。
(福岡市では一部教科時数で充当)これも説明の時間、グループ決めの時間などは入ってない。
⑦卒業式 準備練習込みで
約 10時間(呼びかけの練習などはいれていない。)
今の段階でざっくり計算しても、ここまでで100時間です。(笑)
これに・・・・
始業式、終業式
除草作業
児童集会、委員会活動、クラブ活動・・・・これらはまだカウントしていない。
福岡市では学力補充タイムなども設置するようになっている。
ごく荒っぽく言えば、これだけみれば、実はそれほど多くはないと言えるのである。
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しかし、知っている学校では6年生で週30時間やっている学校があった。
週に1時間多いのが40週だから、他校よりも40時間も多いことになる。
何に使っているのかと思ったら「地域行事」だった。こんな学校は全国にあちこちあるかもしれない。これらは、文科省のいうような多すぎる学校となるかもしれない。
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時数を読み切れる教務主任が教育計画を作るときに、ここからまさに「かんなで削るように」時数を減らしていく。
だぶついた活動を少しずつ削って、スリムにしていくことは無理なことではない。
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しかし、これはどうかというやり方もある。
先の運動会の例で言えば、あの時数のカウントでは練習時間をいれていない。では、練習はどこでするのか。
いうまでもなく、運動会の練習は通常の教科の時間を使っている。
これは全体から見れば、時数の圧縮であるが、体育の指導で言えば、運動会の練習のために消え去った時数が存在する。
それが跳び箱なのか、保健なのかは、分からないが、あるべき時数が消えているのは事実である。修学旅行しかり、卒業式の練習しかり、である。
健康診断は45分を全部使わないので、授業時数としては国語としておきながら、その合間に聴覚検査に行ったりすることもあるだろう。
しかし、そうすると今度は公的な教育計画の中から、聴覚検査の項目が消える。計画上やっていないことになる。下手をすれば学校保健法に抵触?
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ネットで6年生の時間割から5時間の日を増やすという試みが紹介されていた。それだけ見れば一見いいように思える。
問題は、具体的に何を削ったのですか、ということだ。何も削らなければ、代わりに夏休みが短くなったのだろうかという理屈になる。
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抱き合わせや、「国語という名の〇〇」というような時数編成の裏技は実は存在する。
担任レベルでやっていたり、教務レベルでやっていたりすることもあるだろう。
どれだけ正確な計画を立てても、実働の際にはさまざまな問題が生じるのでそれを厳密に運用しろとは思わない。
しかし、お上が旗を振るのであれば、ちょっと話は別である。
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総授業時数を減らしても、運動会の内容が今までと変わらないのであれば、単純に教科時数が実質削られていくだけである。
整列や開会式の練習をするために、跳び箱が跳べなくなるかもしれないという話である。(笑)
いや笑い事ではないかもしれない。
今までだって、体育はおろか国語や算数を削っても運動会の見栄えにこだわる教師がいたのも事実である。
時数はお金と同じである。通帳や財布の中身と同じである。
何かを増やしたり減らしたりすれば、その影響は必ずどこかに出てくる。
担任の裏技レベルなら、それを家計のへそくりレベルと言えるだろう。
しかし、国家や行政を上げて何とかしろ言ったときに、現場レベルの小さな具体的実践がどうなるかを検証しなくては、じわっと問題が生まれてくることになる。
一番の問題は、実質的な教科指導時数の削減により、学力低下の問題や、宿題増加の問題に転化するなどである。
行事の在り方そのものを考えないと、帳簿上だけ数字を合わせても粉飾決算委なるだけである。
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現職時代に同僚にもよく話してきたが、自分で時数計算ができるようになってほしいと思っている。
あの一見ややこしいように見える年間指導計画の数字に、授業としての血を通わせるには現場の人間が、読み取る能力が必要なのである。
5時間の日が増えてラッキーと単純に喜ぶのは子どもの話であり、プランニングや実働ではかなりのご苦労がなされているものと推察する。
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行事を思い切って削減するというのは一つの方法であろう。
例えば遠足などはもうなくなっているところもあるだろう。
運動会は、今のご時世ではそれぞれだろう。では、修学旅行はどうする?なんて話になってくる。
つまりここからが現場で本当に議論が必要になってくる話なのだ。
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最後に・・・
教育課程の編成の編成の主体は、各学校にあると指導要領の総則のいっちばんはじめに書いてある。(解説に、その説明がある。)
もちろん、学校教育法の教科、学校保健法の健康診断などの法的な強制力や、各教育委員会の決めた規則のようなものを前提としていることは言うまでもない。
何もかも学校で勝手にできるわけではない。
しかし、働き方改革を推進するために時数を削れと言われて、教育課程編成の主体を失う態度はいかがなものかという疑問も残る。
自分にとってよさそうなことだから、お上が言ってくれてありがとう、ともろ手を挙げて喜んでいると、今度は困ったことを言われても文句が言えない状況を生む。
組織が大きくなるほどに、(学校教育という組織は文科省を頂点とした超巨大組織と言える)それぞれ権限がある。
何もかもトップが決めると組織が硬直化するからだ。
例えば、学校で出す通信表については、文科省は何も言わない。あれは、学校が独自で出すものであり、慣例として全国どの学校でもやっているが、強制されているものではない。
文科省の言う「評価」とは指導要録のことを指し、あれを通信表に取り入れているのは現場の判断である。
国家レベルで決めるべきもの、同じく県単位、市町村単位、そして学校独自で決めるべきものがあるのだ。
教育課程の編成の主体は学校にある。実働がどれほどであれ、この一言は大きい。
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長々と書いたが、単純に総数減らそうと言われても、それって実際にどうなるのと思考を働かせ、現場が主体的に動けるように「数字が読める教師が増えること」が実は大切なのではないか。