教師の心の中に自分はいるか
学級の掲示の中に、例えば級訓に全員の顔や手形を入れるとか、教室の後方に個人の写真入りのプロフィールを一人ずつ掲示したりするようなことがあるだろう。
一人一人の子どもたちの存在感が出てくるのは、決して悪いことではない。子どもたちもそれを見ながら、自分も教室の中に居場所を感じるかもしれない。
しかし、ネットワーク理論の考え方からすれば、子どもの居場所は別のところに見つけなければならない。
教室という箱の中に自分の居場所を見つけるのではない。
大切なのは誰かとつながっているか、である。
どれだけ教室の中に自分個人の掲示物があろうとも、だれともつながりがなければ、孤独であることは替わりない。
学級の初期の段階で友だち同士のつながりがまだ不十分な状況の時に、子どもたちはどこに自分の居場所を見つけるだろうか。
それは、教師の心の中に、である。
教師が自分のことを覚えている、気にかけてくれている、話しかけてくれる、そういう状況が分かることよって、「先生の心の中に自分がいる」と実感できれば、教師とのつながりを受け止めることができる。
多くの子どもたちは、すでに自分から教師とつながれたらいいなと思っているだろう。
意識はしなくても、不安定な気持ちを解消するための第一は教師とのリンクが存在することなのだから。
それに、今度は教師の方からもつながってくれようとしている姿が見えれば、安心するはずである。
読者諸氏も、初めての研修場所などで、一人で不安な時に話しかけてくれる人がいたら安心だろう。ましてや、講師が顔見知りで、講座の合間に話しかけてくれたりすると一層安心感が増すのではないだろうか。
研修用に名札や座席札が用意されていることも大切ではあるが、何よりも人と人とがつながっていることの方がはるかに意味がある
子どもは問うている。「先生の心の中に、自分はいますか。」
だから、学級の初期段階には、いつにもまして子どもとの具体的なコンタクトの機会が必要となるだろう。
できる限り、名前で呼ぶ機会を多く持つ。多すぎることはない。
授業中に指名する。なんでもいいからほめる。休み時間に話をする。掃除や給食の当番の子どもたちにねぎらいの言葉をかける。
朝のあいさつで、「おはよう、〇〇さん」と名前を付けてあいさつをする。
方法はいくらでもある。
あるいは、みんなの前で一人をほめるのもいい。授業中の態度だけでなく、家庭学習や掃除当番など、他の子どもたちが知らず教師だけが見ているようなことを、全体の場でほめるというのも、言われる方がものすごくうれしく感じるものだ。
ほめられたことがうれしいというより、教師の心の中に自分がいることの方がうれしいのである。
四月は全力で、できればその後も、子どもたちとつながっていること、自分の心の中に一人一人がいることを強力なメッセージとして送っていく。
送りながら、教師である自分から全ての子どもへリンクが存在していることを意識していく。
学級ネットワークの初期段階はこれだけもかなり安定してくるだろう。