指導できることはネットワークのクオリティ
いくら教師であっても、子どもたちに「君は〇〇くんと仲良くなりなさい。」と指示することで、仲良くさせることは不可能である。
それはどれほどの強権をもっても不可能であろうし、また子どもたちがどれほどに幼くても、そして従順であろうと不可能である。
人の気持ちを変えることは簡単ではない。
つまり、教師の力をもってしても、意図的に子ども同士のネットワークを形成することは不可能なのである。
ネットワークはでいつの間にかできあがるものであり、できあがったものをもとにその後の対応を考えていくしかないのである。
その中で教師のできることは大きく二つある。
一つが、学級全体を動かす中で、子どもたちのネットワークが形成しやすいように、いざなうことである。
このことについては後に詳しく述べる。
教師ができることのもう一つが、ネットワークのクオリティである。
例えば、子どもどうしがどのような言葉をかけていけばいいのか、お互いにどのような態度で接していけばいいのか、というルールやマナーを基本とした対応方法を教えることは可能である。
独りでいる友だちへの声のかけ方、グループ活動での話し合いの進め方、トラブル回避の方法、などなど、より多くの友だちと、より快適なネットワークを形成するための基盤を教えることである。
これこそが、教師の仕事であろう。
家族の中の子どもたちは、家族というネットワーク内にいる。そこには家族のルールとマナーがあるが、社会全体への汎用性があるかどうかは、はっきりしない。
より広範なネットワークを作るために、マナーやルールを教えることは、学級というネットワークの中心にいる教師の仕事である。
教師が「みんなを仲良くさせることは無理だが、ネットワークのクオリティを上げることは十分可能である。」という意識をもっていれば、おのずとかける言葉も変わってくるだろう。
それは、一人一人が「箱」に収まるような、いわゆる「お行儀のよい」子どもたちを育てるのではない。
また、単なるコミュニケーション能力の育成にとどまるものでもない。
ネットワークを形成する者どうしとしての互いへのリスペクトであると考えている。
「リスペクト」という概念を学級にいれることについては、別途述べていく。