図工の評価はどうやってつけるのか
例えば図工で絵を描かせたとする。
その絵をどうやって評価するのか、意外にはっきりした方法を持っていない方が多い。
私は、教師になって数年経った頃だったと記憶しているが、あるセミナーで著名な先生にお聞きしたことがある。
「先生、図工の絵はどうやって評価したらいいんですか。」
答えは簡単だった。
「それは、教師によるだろう。」
今ならこの言葉の意味がよく分かる。
完成した絵だけを見て、評価しようとすると分からなくなる。下手をすれば教師の好みでいいか悪いかを判断してしまう。
この言葉の意味は
「絵を指導するときに、子どもたちにどんな力を付けさせようと思っていたのか、その目標と指導によって、評価が決まる。」ということである。
例えば、この絵を通して、水彩絵の具の混色を指導しようと考えたとする。
混色と一言で言っても、その内容は多岐に渡るのであるが、仮に分かりやすく「混色という方法を制作の中に取り入れることができる。」という目標を立てたとしよう。
すると、教師はその題材を通して、混色の仕方を指導する。
そして、混色を使って絵を描ければ、評価基準に到達したと言えるのである。
絵の出来栄えを判断するのではなく、混色ができているかどうかで判断すれば、評価の基準は安定できる。
教師は授業の中で、一斉指導として混色の方法を一度は教えるだろう。途中で個別指導が多くなろうとも、「今回の学習では、このような色の塗り方をしますよ。」と指導する場面が必ずあるはずだ。
その時に、子どもたちが教師の指示通りにできていれば、評定は必ずBとなる。
上手にできなければ個別指導で対応すればいいから、それでもBになる。
Bに到達しないのは、子どもが授業を意図的にボイコットしたときだけであろう。おそらくは、そのような状況はほとんどないだろう。
反対にA評定は、子どもたちの中で特に優れた色彩を出すことができるものにつければいい。
すなわち、指導したことを実施できていれば、全員がBとなり、その中で特に抜きんでていればAを付けることもあるだろう。
Cはよほどのことがない限りつかない、ということになる。
完成された作品を見て評定するのではなく、指導内容について取り組んでおり、その内容を身に付けたかどうかで評価をすれば、授業の評価として成立する。
これが分かったときに、子どもたちへの指導内容もはっきりと自覚できるようになった。
そして、その指導した内容を少しでも上手に定着できるように個別指導をすることを通して、授業の中で自然とAかBの判断はつくようになる。
ちなみに、こうして指導と評価を繰り返しながら制作に取り組ませていくと、名前が書いていなくても、誰の作品なのか分かるようになってくるから不思議だ。
学期末の放課後に「図工の評価をしてくる」と教室に上がり、掲示してある絵を見に行っている教師がいた。
きっとできあがった作品の良しあしだけで判断しているのだろうと、今なら思う。