リスペクトという価値観
教室の人間関係を「箱」だと考えると、その中に収まらない人間は「異物」という存在になる。「箱」の中にきちんと収まらないと、収まっている側の人間が迷惑を被るからだ。
これをネットワークだと考えると、少し見え方が変わってくる。
人間関係の外側に「箱」を作らない。
注目するのは個々の「つながり」である。ネットワークを基盤とすると、社会とは「つながり方」だと見えてくる。
だれとどのようにつながるかに意識が向く。
そうすると、ネットワークのノード(つなぎ目)である個人に目が行く。
子どものつながり方だから、遊びや勉強、趣味、あるいは座席の距離などが影響を受けるであろうと推察される。
しかし、いずれにおいてもキーワードは「リスペクト」となる。
「リスペクト」(respect)は、尊敬とは少し違う。相手への敬意に近い。
他者とつながろうとするときに、その人へのリスペクトがつながる強い動機付けとなる。
一緒にいると楽しい、いろんなことを教えてもらえる、助けてもらえるなどの感覚があれば、つながっていくことができる。
「箱」の中では、他者の個人的なありようよりも、「箱の中の秩序」が優先されるが、ネットワークでは個人の方が優先される。
教師が学級経営を考えるときに、秩序を重んじるのか、互いのリスペクトを重んじるのかによって、「箱」型になるのか、ネットワーク型になるのか、変わってくる。
ネットワーク型になると、他者との違いは「箱」型よりも気にならなくなる。いや、むしろ違いがある方が、興味を惹かれる可能性もある。
自分は体育は苦手だが、得意な友だちに憧れるという意識が生まれると、そこにネットワークが形成される可能性が生まれる。
教師の学級における仕事は、人材発掘となる。
それぞれの子どもたちの個性や得意分野を見つけ、広げることで、子どもたちに多様なネットワークを形成させることができる。
日頃遊ばなくても、図工が好きな者同士というつながりができるかもしれない。
席が遠くても、分からない算数を教えてもらうのに出向くかもしれない。
近くの席になった友だちが、新しい考え方を持っていて、いつの間にかそれに影響を受けるかもしれない。
学級全体が本好きになれば、そのネットワーク全体のエネルギーによって個々人も感化されるかもしれない。
新聞づくりが得意な子どもの作った新聞を見て、自分もやってみたいと思う子どもたちが増えるかもしれない。
秩序を求めると、均一であることが必要になる。
同じ行動をとり、同じような思考になることが、暗黙の了解で求められる。
構成メンバーである子どもたちは、他者を異質か否かという判断で見てしまう。
おもしろくない人間関係になる。
お気づきと思うが、「箱」型かネットワーク型かは0対100の関係ではない。どちらの性質も備わっている場合がほとんどである。
問題はその比率だろう。
教師が子どもたちをどう見ているかで、その比率が変わる。
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