四月を迎えるための三月 学校編・行政編

学校システム

「四月を迎えるための三月 教師編」の続き。

<学校編>

 春休みの全体出勤日は限りなくゼロを目指す。
 全部を空白にすることは無理でも、三日でも四日でも全体出勤はなくすべきである。
 その空白の時間を、担任教師は準備に充てることができる。

(1)反省に関する会議は3月上旬

 以前に、3月31日に年度末反省会をやっている学校があると聞いてびっくりした。
 こんな時期に反省会をやって、どうやって新年度に改善していくのだろうか。
 年度末反省は(しなくても機能するのだが)、遅くとも3月上旬である。
 これは、校内研修などあらゆる校務分掌の反省会も同じである。

 とっとと反省を済ませて、次年度の起案を行う準備をする。次年度の起案は、当然本年度の担当者が下準備をしておく。
 世はPDCAを言っている。学校だって、行事や研修会のあとすぐに反省を集約して次年度の改善に生かすようにすればいい。

 教務時代には、1学期の行事については夏休みに会議を入れ、大幅な修正が必要とされるものについては7月に決定していた。3月まで待つ必要もない。
 同じ原理で行けば、じつは年度末反省など不要なのだが・・・

(2)備品などの点検・集約

 一覧表を作成し、点検や集約の必要なもののリスト化、集約場所、期日を明記。
修了式の日の帰りまでに全員提出とする。

(3)次年度担任発表

 これは地方によって、あるいは学校によってさまざまであることが分かっている。
 一つ言えることは、一日でも早ければ早い方がいい。
 ついでに言えば、校務分掌の大きな仕事のリーダーもすでに打診があった方がいい。

 3月上旬に次の担任が分かっているといいなあ。(そんなところはあるんだろうか。)
 異動も影響するので、学校単独で決められないところもあるだろう。

  ずっと以前、私が教師になったばかりの頃は、なんと4月1日に「校内人事委員会」なる人が集まって人事の話し合いをして、学年を決めていた。発表ではない、決めていたのである。
  組合と管理職の折衝のような場であったのだろうが、ここでわがままを言う人がいたりして結構わけわからないときもあったようだ。

  これがもめると、翌日2日も決まらないということもあったようだから、もはやのん気すぎて、むしろ面白い。
 もっとも二年間持ち上がりの時代だったので、奇数学年の場合はよほどのことがない限り、上に上がっていたという慣例のせいもある。

 しかし、今なお4月1日にならないと正式発表しないという学校長もいるようだ。
 辞令が降りるのが、その日だからという理由で。

 それは誰のための判断なのだろうか。すでに内示は出ていて、全部が事実上動き出しているのに、そこに義理を通すことに何のメリットがあるのだろう。
 よく「万が一、変更があったら」と言われるが、万が一だからその時に対応すればいい。
 新聞を見て「あれ?変わっている!」なんてことはあるわけもない。

 学校長が異動だったら、新しい校長が担任発表すべき、という人もいる。
 しかし、おもしろいことに、予算はすでにずっと前に決まっている。新校長が来てから予算を決めるなんて話は聞いたことがない。

 その筋が正しいなら、まず新しい人事が4月1日に発令して集まり、それから担任決定と校務分掌の担当決定を行い、そして・・・予算編成ではないのか。

 国家を動かす内閣ですら、予算は前任を踏襲している。社会のシステムとはそういうものだ。

 そして、担任と校務分掌が白紙の状態から決まるので、職員はみな4月1日から準備を始めることになる。
 言うまでもなく、始業式に間にあうわけがない。
 妙なところに義理を通すと、結局困っているのは、現場の最前線である。

<行政>

 準備期間を確保してほしい。
 新年度の人事発表はなるべく早めに。

 そして、春休みの開始時期を前倒し、新年度の始業式を後ろへ。
 一日春休みが長いだけで、どれだけ準備ができるだろうか。

 地元福岡市では、ある時から、始業式が一日後ろになった。4月5日が6日になった。
 それだけでも、スケジュールが全く違う。
 本当ならもっと遅い方がいい。

 あらゆる新年度の会議と、新学年の準備を終えて子どもたちを迎えられるような時間的な余裕があれば、学級崩壊ももっと減るだろう。教師の精神的な疾患も減るだろう。

 全国的に新任教師が増えていると聞くが、であればなおさらである。

 「一歩子どもの前に立てば、プロ教師として仕事をする」という言葉がある。
 それは、本人の心がまえの問題であって、場を設定する側の言うべきことではない。

 大学では即戦力として働けるカリキュラムではなく、そのまま大学からいきなり就職してやってきて、現場では準備の時間も十分に取らないままで、「隣と同じレベルで仕事しろ」は無理である。

<ただの余談>
 余談だが、私は大学卒業して、すぐに教師になれたが、教育委員会の事情で4月4日に辞令を受け取った。当時はまだ土曜日も出勤日だった。
 教育委員会に行った後、そのまま勤務に向かったが、すでに午後になり校長先生と数名の先生しかいなかった。
 同学年のお二人は、別の勤務校からの異動だったので、顔も合わせていない。
 その日に言われたことは、月曜日に来る時間と大まかな段取りだけである。

 4月5日日曜日、当然お休み。
 そして、4月6日・・始業式である。(笑)

 当時、異動する教師は始業式の日に前任校でお別れの式をすませ、すぐ赴任校に行くというシステムだった。(政令市だからできる技である。今は違う。)

 4月6日の朝、私はすることがない。同学年もいない。職員室でじっと待つ。
 出会いの準備も何も、これからどうなるか、タイムスケジュールも分からない。

 4月1日に学校に来ていないから、出勤してくる先生にその都度あいさつ。(笑)
 そもそも紹介すらなかったのである。

 やがて10時だったか11時だったか、同学年の先生方が前任校からやってきて、初めてごあいさつ。当然お二人も初対面。

 あいさつもそこそこに・・「じゃあ、行きましょうか。」
 ってどこへ、と思っていたら、何と体育館である。
 学級編成をすませた子どもたちが待っている。そこで赴任のあいさつをすませ、担任の発表があり、子どもたちの前に立つ。

 このシナリオの何も聞かされておらず、ただ周りに合わせて動くだけ。
 そのまま、始業式後に子どもたちを教室に連れていくのだが、教室がどこかも分からない。

 何を話せばいいのか、連絡事項やその他何も分からない・・・

 教室に行って、子どもを座らせた後、自己紹介だけすませて・・子どもを待たせて隣の教室に行った。
「何をすればいいんですか。」(笑)

 黄金の三日間も何もあったものではない。
 若い男の先生だ!と歓迎してくれていた子どもたちだが、私が担任として転がり落ちるのに一か月もかからなかった。

 新年度の準備期間の設定への怨念はここから始まる。(*^^*)

 

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