宿題の出し方・見方
まず前提として、学力は学校で身につけさせるものという考え方が前提に考えていく。
単純に、学習の時間が増えれば、学力が向上する可能性は高くなると考えれば、宿題は大量に出した方がいいという理屈になってしまう。
毎日家庭で全く学習しない子どもと、1時間する子どもと、2時間する子どもがいたとしたら、(適切な内容だという条件であれば)時間が多い方が学力は身に付くだろう。
しかし、公教育の本来の目的を考えれば、どのような家庭の状況であろうと学校に来れば学力を身につけさせることが目標となるだろう。
だとすれば、最低限の学力は、学校の中だけで身につけさせるように、全体の設計をして日々取り組んでいくようにした方がいい。
あくまでも、宿題は「なければなくてもいい、してこなくても困らない」というオプションにしておけば、教師の心理的、時間的な負担をかなり軽減される。
それは子どもにとっても同じである。保護者も同じであろう。
とはいうものの、実際は宿題の存在をあてにしなければならないときもある。
例えば、4年生で割り算の筆算を学習しようと思っても、子どもたちの中に九九を覚えていない子どもがいれば、当然対応しなければ先には進めない。
担任であれば、九九ができているかどうか事前に確認し、その対応をするだろう。その時に授業の中だけで前の学年の内容を復習するところまで、目指すのは難しい。個人差もあるだろう。
本来ならば、どの学年も確実に学習内容を身につけて進級させれば問題はないのだが、現実問題としてそうではない事例はいくらでもある。
(この点においては学力向上シリーズで述べていく)
そうした子どもたちの実態を見つつ、授業を行うべき「確実な学力定着」のラインと、子どもたちの実態のギャップを、宿題という形で埋めていくことになる。
宿題の代表的な内容として、音読・漢字・計算があるだろう。
音読については、授業の中でこまめに取り組んでいくことについてすべに述べている。
漢字練習を学校の中で完結させることについても、すでに述べた。
計算も同様である。
計算練習を大量に課題として設定する必要はない。計算ドリルはなくても全く問題はない。同じ問題を2回、3回とさせることがあるようだが、労力ほどの効果はない。
むしろ、大量にさせるほどに子どもたちは雑になる。
問題も新しいプリントを次々と用意する必要もない。教科書に載っている問題を確実に処理できるようになるくらいで十分である。
計算練習の課題の出し方を紹介する。
その日に学習した教科書の問題をもう一度させるくらいでいい。
教科書問題を4問から6問程度指定し、それをもう一度やってくることを宿題とする。
同じものをさせると、写してくる子どもが出てこないかと思うかもしれない。大半の子どもたちは、主旨を説明すれば自力で解こうとする。
写そうとする子どもたちは、授業での定着が不十分だった場合が多い。仮に、定着が不安定であったら見てもいいだろう。
分からないままでは先に進めないのは、計算ドリルをさせるときでも同じであろう。
筆算の学習は、アルゴリズム(計算の手順)を理解し、その通りに進めることができればいいのだから、大量にさせるのではなく、むしろていねいにステップを踏むように指導する方が効果があるのだ。
だから、問題数を減らし代わりにていねいに書くようにすることを心がけさせる。
この程度の分量だと、翌日に教師がチェックする手間もほとんどとらなくていい。
朝の会、あるいは算数の時間の冒頭に、チェックをする。集めなくていい。
書いているノートのページを開かせ、隣と交換させる。この段階で、やっているかどうかは、隣の子どもがチェックをしてくれることになる。
そして、教師がその場で答えをいい、隣の友だちに〇をつけてもらうようにする。
6問程度なので1分程度で終わる。
ノートを互いに本人にもどして、正解数を確認し、間違いをやり直しさせる。
もしやってきていない子どもは、休み時間などを使って当日中に解いて、教師のところに持ってこさせるだけでいい。6問程度なら、休み時間でもすぐに終わる。
計算のやり方が定着しているかどうか程度なら、この程度の内容とチェック方法でほとんどカバーできる。
高学年の社会や理科では、テスト前にノートまとめをさせていた。見開き2ページで単元の内容を自分なりにコンパクトに収めるという学習である。
これも単元のたびにやっていくと、子どもたちは速く、ていねいに仕上げてくる。
この場合は、4月5月くらいは、まず授業の中で、ノートまとめの時間を必ず取ることにした。手順を教え、子どもたちが、いずれは家庭でもできるように見通しをつけさせるためである。
これを続けていくと、子どもたちの要領はかなり良くなってくる。
授業時間で20分程度とって、残りは宿題、テストは明日、という段取りにしておくと、かなりの割合の子どもたちが、その20分の間に見開きのうち1ページと半分くらいを完成させてしまう。
(詳細は、別途)
計算練習にしても、ノートまとめにしても、子どもたちが実際に取り組んだ結果、自分の実力が伸びてきているという実感があれば、大半の子どもたちはきちんとやってくるようになる。
教師が叱らなくても、罰を与えなくても、自分のためにていねいに仕上げようとする。
授業とその自己チェックとしての宿題と評価としてのテストが連動する。
教師がチェックしなければならない、というのは、子どもたちが基本的に宿題はやりたくないものであり、また任せると雑になり、ミスをするものだという前提に成り立っているのではないだろうか。 子どもに成果の手ごたえを与えるというコンセプトを織り込めば、見えるものが大きく変わってくる。
なお、自学については別途項を起こし述べることにしている。