散らばる情報は誰が束ねるのか

働き方改革

散らばる情報は誰が束ねるのか

 子どもたちの問題と言えば、今までは「生徒指導」に関する校務分掌が担当していたのではないだろうか。
 かつては、それだけで大半の問題処理が可能だった。

 やがて特別支援教育の視点が入ってくるようになる。
 学校によって、どの校務分掌で情報の集約をするのかはそれぞれであろうが、生徒指導とは別課題として取り扱われることが多かっただろう。

 かといって全く切り離されるわけではないところが難しい。

 やがて、学校にスクールカウンセラー(SC)が導入される。
 必要に応じて、子どもや保護者との面談ができるようになった。子どもの心理的なサポートができるようになったのはありがたいことである。

 さらに地元福岡では、スクールソーシャルワーカー(SSW)も配置されるようになった。これで、家庭に課題がありそうな子どもへの対応もかなり進められるようになった。全国でも、来校回数に差はあるとはいえ、進んでいるだろうと思う。

 学校が複数の視点で子どもたちを見守ることは、今の時代に適している。
 担任が一人で見る時代はもはや終わりに近づきつつある。それはとてもいいことだ。

 しかし、それだけ状況も複雑にもなってきた。
 子どもの課題は一面的ではない。家庭に問題があるから、学力が厳しかったり、友だちとトラブルを起こすこともある。
 特別支援的な配慮がメンタルな部分に関わることもある。

 担当者や校務分掌がばらばらだと、どこでどのように子どもたちの情報を一元化するかが課題になってくる。
 データとしての管理は、子どもファイルの作成やデジタルの校務支援システムでの記録など、いくつか方法があるだろう。
 しかし、データだけの管理ではなく、そこに「人」が必要である。人に情報を集めることで、対応法を考えることができる。

 個人的には、自分の経験も含めてその役目は教頭が適していると思っている。

 SCやSSWの勤務管理(毎日来るわけではないから)は教頭が行う。面談などの日程調整もあるだろう。
 複数の校務分掌をまたいで見ることができるのも管理職だと可能である。
 学年主任や担任からの報告も受けやすい。
 担任から話を聞き、その子どもへの対応方法を担任に助言し、サポートの段取りを組む上でも、権限のある人が進めた方がスピード感がある。

 法令上でも、教頭が「教育をつかさどる」とあるように、子どもに関わる上でのハブになることは自然だろうと思っている。

 しかし、ここに最大の問題がある。
 教頭職は、多忙なのである。
 子どものこと以外にやることが、あまりに多すぎる。対外的な折衝や文書管理などを優先していくうちに、子どものことがつい後回しになってしまう。
 いや、多くの教頭が後回しにもできないから、激務を抱えることになっている。

 教頭が超多忙であることは、本人以外が分かりにくい。
 学校の事情や、学校長や職員とのかかわり、さらには地域事情などで仕事のあり方は千差万別なため、公式化しにくい。
 しかし、おそらくは激務であることはどの学校に行っても、大きくは変わらない。

 その見えない激務のせいで、子どもの情報を集約しにくい状況が生まれていることにはもう少し注目すべきであろうと考えている。

 このほかにも教頭がボトルネックになって学校全体の動きを左右せざるを得ない問題はいくらでもある。
 学校には、たとえ小規模校であろうと教頭は最低二人はいた方がいい。
 仕事を分担すれば、もっと子どものことに集中することが可能である。

 あるいは、事務職員を増やし業務を軽減するか、主幹教諭を二人以上配置し、一人を子どもを見る専門に充てるなどの対応が可能かもしれない。
(地方によってはそれができているところもあると聞く。)

 学校現場における教頭職のあり方が、中途半端なせいで実は見えない混乱がかなり生じていることは別途記していく。

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