時数の管理は絶対必要である
学級担任が効率よく仕事を進めたいのであれば、学級の時数の管理は絶対条件である。
担任にとって授業時数とは、家計の収入と同じである。
そもそもいくら手元にお金があるかが分からないままで、買い物をしているような状態で家計の管理ができるわけがない。
お金を貯めたいと思っていても、自分の収入がいくらで、支出がいくらなのかを把握しないで貯金をすることは無理である。
時数管理も全く同じである。
そもそも自分の手持ちにどれだけの時数があるのかを知らないままに、日々の授業をしていると、学期末に大変な状態に陥る。
教育計画を立てるのは教務主任の仕事であろう。
しかし、それを具体的にどのように運用するかは、学級担任の重要な仕事である。
学校によっては、学年主任が時数管理をしているところもあるかもしれない。地元では、時数管理は学年主任の仕事という習慣がなぜか根付いている。
学年主任が、翌週の時数について、「国語が〇時間、算数が〇時間」と割り振りを決め、それに従って担任が時間割を決めるという仕組みになっているところが多かった。
しかも、学年主任も時数管理ができていない場合が多々あった。
学年の話し合いが時折耳に入る。「国語が遅れているから、来週は国語を増やそうか。」「運動会の練習が間に合わないから、来週も体育を入れよう。」というように、その場の流れで積み上げていくだけの話し合いである。
これでは、あとどのくらい残っているのか、残った時数はいつどのように振り分けて使うのか、全く分からない。
学期末に授業が間に合わないと混乱する原因の一つが、この時数管理ができていないことにある。
これだと、どのくらいの時数が残っていて、それをいつどのようにするのかを担任が考えることができなくなる。
お金で言えば、他人に財布を完全に預けていて、「来週の食費はこれだけ、娯楽費はこれだけ」と言われているようなものである。
多くの教師が時数管理ができてない。
全体像を把握していないために、学期末に混乱している。
ある単元だけを猛スピードで消化したり、一日中テストばかりやっている日があったり、という状態が学期末に繰り返されている。
はっきり言うが、時数管理ができないで働き方改革などありえない。
手持ちの金がいくらかも分からずに、貯金をしろと言われても無理なのと同じである。
それでいながら、金がないのは給料が低いからだと言っても説得力がない。
少ない金の中でも貯金ができる人はできる。
時数管理も同じである。
試しにお尋ねする。
今の学級(学年)の年間総時数は、何時間だろうか。
これを言えるだけでもかなり数字に強いと言える。(反対に言えば、これも知らないで毎日授業をしている教師がほとんどではないか。)
ちなみに、指導要領では教科の総時数は高学年で845時間。しかし、これに学校行事や特別活動、さらには余裕時数などが含まれているから、年間総時数は学校によって全く違うと言っていいだろう。
国語の時間は、年間何時間だろうか。
これも高学年なら標準は175時間だが、学校が絶対にそうなっているかどうかは分からない。下回ることはないだろうが、余裕時数の組み方は学校によって違う。
その国語の時間は、1学期、2学期、3学期で、どのように振り分けられているだろうか。こうしたことを覚えておく必要はないが、いつでも数字がつかめるような管理方法が必要である。
時数管理とは、家計簿をつけるようなものである。
子どもの授業時数を預かるのだから、個人的な家計簿というよりは「予算書」に近いかもしれない。
記憶する必要はないが、全体像をイメージして出し入れができるような仕組みを、担任一人一人が(初任者も含めて)持っておくようにしなければならない。
そうでなければ教師の「忙しい」の原因のかなり部分が不透明になる。
時数管理については別途詳細を述べる。