研究授業の準備その9 資料を集める
かのニュートンがこんな言葉を残している。
「私が遠くを見ることができたとするならば、それは巨人の肩の上に乗っていたからだ。」
物理の世界で画期的ともいえる業績を残したニュートン自身は、それが自分の独創なのではなく、巨人の肩、すなわち先人たちの業績の上に乗っていたおかげだと言っていたのだ。
科学の世界では、こうした思想は今ではむしろ当たり前である。ルールですらある。
独創がすばらしいのではなく、あくまでも先人の業績の上に新しいものを積み上げていくことが「研究の作法」である。
教師の研究授業も本来は同じはずである。
すでに先行実践は山のようにあるだろう。単元そのものは新しくても、同じような目標のもとで作られた実践はあるはず。
ネットで調べることもできるだろうし、本や雑誌に掲載されているかもしれない。同僚や先輩が知っているかもしれない。
研究会なら、過去の実践に似たようなものがあるかもしれない。
そうした先行研究を探していくことは、むしろ正しいことなのである。
オリジナルである必要はない。学校教育の世界では、教科書を使うな、人のまねはよくない、などとオリジナルであることを求められた時もあるが、積極的に資料は集め、使えるものはどんどん使った方がいい。
研究とは、そうやって後の人が、同じ手間をかけずにその道を歩けるようにするためのものである。
ただ、パクリ(盗用)はいけない。人様の資料を使いながら、あたかも自分が考え出したかのようなまねはルール違反であり、場合によっては犯罪である。使う場合は、先行実践を明記すべきである。
とはいっても、先行実践を明記することをいやがる現場の雰囲気もある。
授業者本人が、先行実践を明記したいと言っても「それは書かなくていい。」(いや、むしろ書くな)と、ストップがかかることもある。
これはオリジナルが大切という古い文化の、悪しき残像である。
原典にあたり、先行実践を調べた上で、自分の主張を打ち出す。これは、いわゆる「研究」を進めるときの基本的なスタンスなのである。
教師の仕事は研究が本業ではない。大学の先生のようなわけにはいかない。
かわりに、春のうちに校内の研究構想が決まれば、夏休みの間に準備をするくらいのつもりで進めると、調べる時間もある程度は確保できる。