リミッターなき勤務時間
教師はいくら超勤しても、残業代が出ない。
それは、単なる「ただ働き」という意味だけでなく、長きにわたって違う作用を促してきていた。
一つが生産性を意識しない働き方を招いているということである。
(参照 「教師の意識の中の「生産性」)
もう一つが、勤務時間の個人管理という発想である。
出勤時間と退勤時間の枠に収まっていることだけが条件である。それをオーバーするのは、どれだけでも何も言われない。誰も言わない。
ある程度の年齢を重なると、互いに意見を言うこともほとんどなくなる。
そもそも給料に反映されないから、互いを干渉する必要もない。
仕事の成果を測る指標がはっきりしないこともあり、一時は長く働いているのがいい教師というイメージすらあった。
こうなると先の「パーキンソン第一の法則」は学校の中で特有の作用を生み出す。
もとはこの法則は、組織のあり方を表した法則だった。
しかし、学校ではこれが個人に作用する。
すなわち
教師個人のライフスタイルの中で、自分が使える限度いっぱいの時間を仕事に当てる
という形に転化していく。
人生のすべてを仕事に当てるという意味ではない。
どこまでやるかは、教師個人が決め、それぞれがその限度いっぱいを使うことになるという意味だ。
「6時には帰りたい」と表面上は思っている。どちらかと言えば、願望に近い。
しかし、もっと心の奥では「今日は特別に用事があるわけでもないし、9時まで残ろうと思えば残れるな。」と考えているとする。
すると、仕事は9時までの時間を使い切る形で処理されるのである。
これが個人に適用される「パーキンソンの第一法則」である。
さらに、教師の仕事の重要要因である「教材研究」が仕事の枠を押し広げる。
無限に続く教材研究へ