古き良き時代の幻影
ムチャぶりだと分かっていていあえて問うてみたい。
「運動会とICT教育のどちらかを取れと言われたら、どちらを選ぶか。」
その答えを出す前に少し寄り道をする。
新任で5年生を担任した。一人、泳げない子どもがいた。小さい時におぼれた経験があったそうで、水に入るだけで吐き気をもよおす。水に顔をつけるどころではない。
水に入っても、プールの端で震えていたことを今でも覚えている。
その子をどうしたらいいのかという手立てなど、大学を出たばかりの自分はなかった。
1学期が終了し、夏休みに入った。
私は、保護者に連絡をして、その子と一緒に市民プールに行った。二人で、である。
一緒にプールで遊んだ。特に水泳の練習はやった記憶がない。
そして2学期。その時は9月になっても数回だけ水泳があった。
その子は、水に潜れるようになっていた。たしか数メートルは泳いだのではなかったろうか。
こういう話を「古き良き時代の話」というのだろうか。(笑)
おそらく今の学校では、できないだろうし、誰もやろうとは言わないだろう。
個別指導の問題や、安全の問題など配慮すべきはいろいろある。
そもそも授業中になんとかするのが教師の仕事だろうと言われれば、その通りである。
(今の自分でもそう言う。)
どんな仕事であれ、長くやっていればそれなりの思い出はある。同時に、今と比べて価値観やルールが大きく変わったこともある。
誰だって自分を肯定したくなるから、「昔はよかった。」とつい言いたくなる。
しかし、冷静に考えるといいことばかりではない。自分自身も無茶をやったし、当時の制度や価値観の中では通じないようなことが認められもしていた。
運動会や学習発表会、あるいは研究授業などで、がんばってきたという記憶のある教師も多いだろう。
子どもが帰ってからも、遅くまで準備をし、練習も重ねて、本番を迎えたときにそれなりの手ごたえを感じたという教師もたくさんいるはずだ。
それこそが教師の仕事のおもしろさだと思う教師も多かろう。
そして「それに比べて今はなんだか淡々としているんだよねえ。」と思っている教師も実は多いのではないだろうか。
「働き方改革」を主張しつつも、仕事にたんぱくに見えてしまう若手教師に疑問を持ってしまうベテランもいるのではないだろうか。
いや、もっと言えばベテランの中には昔のままのスタイルで仕事を続けたいと思っている人もいるかもしれない。
気づかずそうなっていることは、多いだろう。自分も戒めなければならない。
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「運動会とICT教育が、どちらか一つしか選べないなら、どちらを選ぶか。」
答えはそれぞれだろうが、大切なのはその理由である。
自分がよりどころとしている考えが何であるかは自覚が必要である。
ちなみに、今の学校は両立をしようとしている。
ICT教育がなかった頃に、運動会にがっつり取り組んでいた方法と同じレベルを維持しながら、ICT教育を入れ込もうと思えば、どうなるかはだれが考えても結果は予想できるだろう。
私個人は、この問いの答えを学校教育全体が出すべき時期が来ていると思う。