積み上げられてきた文化を疑う

働き方改革

まずは自分の立ち位置を決める

 教師は個人事業的な仕事の部分と、チームによる仕事の部分、そして公務員としての特徴を持った部分があり、三つが混在しているために話が進みにくい部分がある。

 そこで、まずは自分の立ち位置を決める。
 能率を上げるには様々な方法があり、工夫の仕方では、仕事のレベルを落とさずに時間を短縮することは、十分に可能である。
 だからまず、個人でできることから始める。

 例えば、退勤時間を今よりも5分でも10分でも前倒していくトレーニングを考えてみる。

 単純計算で1日5分短縮すれば、年間250日の出勤として1250分、21時間程度の「自分の時間」を確保できる計算になる。
 1日10分なら、その2倍で40時間程度の「自分の時間」が取れる。

 これを自分の生涯年数でかけ算すると・・・
 20代の方なら、退職までに何時間確保できるだろうか。

 反対に言えば、5分10分無駄に過ごしていると、生涯でそれだけの時間を失っていることになっている。(自分も振り返ると、返す返す残念である。笑)

 とはいうものの、今日は5分短縮できたかどうかを判断するのは難しい。
 そこで、決めてしまうのだ、自分の退勤時間を。

 ここが限界点という時間を先に自分で決める。それより早く帰ることができたらプラス点、遅くなればマイナス点と換算して一週間で合計していく。

 初めはこれでも難しいだろう。
 教師の仕事は終わりがない(と錯覚させられている)ので、その日の体力や仕事量、あるいは気分、見たいテレビなどで限界点を決めてしまっている。その日ごとにばらばらになっている。
 それは、ばらばらでも給料は変わらないし、誰にも迷惑をかけないからである。

 しかし、こうした終わりがあいまいなあり方こそ、この残業手当を払わないシステムの一番の負の影響なのである。
 こうした働き方が自由でいいと何十年もかけて思わされてきたのが、教師の文化なのだ。

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