地元福岡では、研究授業の指導案に授業者が捺印をする習慣があった。
これを他県の人に話すと、笑われた。(泣)
私は個人的にずっとおかしいと思っていた、指導案に自分の印鑑を押すことに何の意味があるのだろうと。これは授業が指導案通りにいかなかったら、何らかの責任と取れという意味なのか、いやそうではないようだ、ならばなぜ?と思っていた。
他県の人が驚いていたということは、私の思いは正しかったのだと安心した。
しかし、この話を現場でしたところで、現場は少しも変わらない。
学校長が印鑑を押しなさいと指導する場合もあったくらいだから、変わるわけもない。その校長先生だって、どうして押しているのか理由は分からなかっただろうと推察する。
事実、押さなくていいという校長もいたのだから。
こじつけた理由はいくらでも出てくるだろう。
しかし、印鑑がないと制度上困るようなことは何一つない。
やがて印鑑廃止の流れがやってきたので、今では押すところはほとんどない・・・と思っているが、相変わらずやっているところもあるかもしれない。
似たような話がもう一つある。
指導案の1枚目の上に、「〇〇先生、ご指導よろしくお願いします。」と一言添えて配るという習慣は今でも一部残っている。特に初任者の研究授業などには多い。
指導案を職員全員に配るとすれば、この一言を書くだけでも大変な作業である。
初任者は、毎週のように指導案を書いているので、そのたびに全員にこれを出すことになる。
年間を通したら、延べ何時間になるだろうか。
やがて、知恵を付けた人が「〇〇先生、ご指導よろしくお願いします。」の〇〇の部分だけを空けて、「 先生、よろしくお願いします。」と予め印刷しておくようになった。そして、下線部分に名前だけを書き込めるようにしたのである。
こんなどうでもいいような習慣も校長の一言で、あっさりなくなることも可能なはずである。そもそも職場内で配付される資料に、いちいちご挨拶を書くという習慣そのものが問題なのである。
誰かがどこかで始めたことなのだろう。それが、ある学校で定着したのかもしれない。教師は異動を繰り返すので、異動先でもそれを続けたことは容易に想像できる。すると、その異動先でも少しずつ広がっていったのだろう。
こういうことは一見「礼儀正しい」と思われるので、反対することが難しい。先の印鑑も出発点は同じだろう。
お若い方に礼儀のあり方を教えるのであれば、違う方法はいくらでもある。