低投票率に勝手な空想をする

日々あれこれ

 地元の選挙が終わった。(地方によっては、これからもところもある。)

 地元の福岡市の投票率は4割を切ったそうな。
 35%程度だそうで、つまりほぼ3人に1人しか行っていない。

 これだけの人が行かないということは、どこにも流れなかった莫大な数の票が残っていることを意味する。

 実際にはありえないだろうが、空想してみた。

 次回の選挙の話である。
 今回、残念ながら落選した方は次回再度立候補すると仮定しよう。
 今回、投票に行かなかった人たちが、あえて投票に行き、その人たちに集中して投票する。
 何せ、全体の6割越えの票数である。
 すると・・・・議会のメンバーは見事に入れ替わるだろう。(笑)

 現実はありえないだろうが、理論上はそういうことも可能なのである。
 それくらいの数の票が死んだことになる。

 「投票に行きましょうというスローガン」は、実は「法定速度を守りましょう」程度しか価値がない言葉であり、投票率が低い方が助かる議員や組織は実際に存在する。

 口が裂けても、来なくていいとは言わないが戦略としてその方がいい人もいるのだ。

 だから、落ちた人や危ない人は
「私に1票を入れてください。」
 の前に
「私に入れるために投票所に行ってください。」
と言えばいいことになる。

 とはいえ、ここで示した方法も、今度は「今まで選挙に行っていなかった人」を対象として、組織化するのだから、結局は「組織票」と呼ばれることになる。
 皮肉だが事実だ。

 多数決は民意の反映ではあろうが、ランダムに動いているところに意味があったのだろう。
 しかし、組織という方法で統制をかけていけば、ランダムにはならない。
 ランダムにならないことに批判もあろうが、それは古来から人間が生存のためにやってきた「組織化」の延長である。
 人間は社会や組織を作ることによって自己保全を進めてきた。それが一つの特徴なのだ。
 だから、「組織化」を責めることはできない。
 現代社会において無作為の完全なランダムは存在しないだろう。

 とはいうものの、明治からこのかた、基本的にシステムが変わらない。
 もう限界なのだろうなあと思う。

 この辺は今トレンドの成田悠輔氏が書いた「22世紀の民主主義」を読むとおもしろい。

「22世紀の民主主義」
 成田悠輔 SB新書

 一見、小ばかにしたように思えるが、なかなかどうして理にかなっていると、思ってしまった本である。

 

 しかし、この低投票率の現状を旨味だと思っている人もいるからきっと簡単には変わらないだろう。

<補足>
 「現代社会において無作為の完全なランダムは存在しない」と書いてしまったが、本当は存在する。
 存在する「らしい」。
 個々の人間は意志を持って動いても、大量の人の動きの中では、それが物理の法則に近い動きをするという話を聞いたことがある。

 ここではあくまでも、投票という行為を「完全に他者とのかかわりを断ち切って、自分の意志だけで行う。」ということは無理という意味にとどめておきたい。
 

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