進学3

現代教育論

 時は流れて、我が子のことである。

 娘が中学3年になり、志望校を決める日が近づいてきた。3年の夏休みから塾にも行かせることにした、本人の希望もあって。

 進路先について、学校と塾で意見が分かれた。

 娘は、私が断念した地区で一番(と思われている)の高校を希望していたが、学校は合格は難しかろうと判断していた。

 しかし塾は太鼓判を押す。問題ないという。

 本人も親も考えたが、塾を信じることにした。中学校には申し訳ないが、持っているデータの量が違う。

 結果として娘は合格した。

 合格の報告をしに中学に行ったときに、まず友だちの方が合格の報告をした。その話を聞いて先生も「よかったなあ」と喜んでいたたそうだ。

 そして娘も「自分も合格しました。」と話したら「お前も合格したのか?」とびっくりされたそうだ。

 どうも我が家が無理して高嶺の花を狙い、その結果落ちると予想していたのだろう。

 帰ってから娘は先生の反応に怒っていたが、何を言われようと合格は合格である。

 進学した娘は、高校生活を満喫し、社会人になった今でも、行けてよかったと言っている。

 後に続く弟たちも、そして娘を含めた三人の大学受験もそれぞれにドラマがあるのだが、ここでは割愛しよう。

 自分の受験のことなど久しく忘れていたのだが、この我が子たちの受験を見て、特に一番上の娘が自分と似たような状況で選択をしている中で、自分のことを思い出した。

 もし、娘が行っていたような塾が、自分が中学三年の時にもあって、自分がそこで相談できていたら、どんな分析をされたのだろうと。

 繰り返すが、何の後悔もしていないし、大学まで行かせてくれた母には本当に感謝もしている。

 ただ、ドラマみたいにタイムスリップがあったりしたら、どうなるのかなとSFチックな想像をして楽しんでいる。おじさんの妄想である。

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