日本は諸外国に比べて、GNPに対する教育予算の割合が低い。
経済規模に対して、教育にお金を使っていないということになる。
しかし、教育にお金を回さないのは、文部科学省が決めているわけではない。お金に関することを決めるのは財務省のお仕事である。
お金がないことを文部科学省に文句を言っても仕方がない。きっとお金が欲しいのは文部科学省も同じであろう。
財務省というのは国の金を預かる仕事をしている。当然、さまざまな省庁から要望が出る。
しかし、無尽蔵にお金を出すわけにもいかないから、当然優先順位が決まってくる。
その結果、今この状態に至っているわけである。
さらに、国家予算の場合は、財務省が勝手に決めるのではなく、国会がそれを検討し、多数決で決めている。最終決定権は国会にある。
つまり、教育予算が低いのは、国会議員が決めているということになる。私たちが選挙で選んでいる国会議員である。
では、なぜ国会は、そして国会議員は教育予算を上げないのだろうか。
こんなことを言っては身も蓋もないのだが、教育予算を上げても票にはつながらないからである。
いや、つながらないと思っているからである。
もし、教育に熱心な議員が当選していくならば、国会の判断は教育に力を入れていくことになる。
票につながらないという言い方は、議員の利己主義のように思ってしまうが、世の中には教育だけでなく取り組まなければならないことがたくさんということである。
良くも悪くも、それが民主主義である。
ついでに言いますと、今の若い世代は選挙に行かない。それは、統計で見ても明らかである。
もし、若い人の投票率が高くなり、それが議員の当落に影響を与えるならば、変わってくるかもしれない。
しかし、ここでもう一つ残念な情報がある。
現在の日本は高齢社会である。ご高齢の方の比率がとっても多い社会である。
これまた身も蓋もない話ですが、ご高齢の方で教育の予算を上げてほしいと思っている方は少ないと考えるのが自然だろう。それよりも医療費や介護手当などの充実に目が行くはずだ。
おそらく、これからも社会保障費や医療費に予算が重点的に配分されることは、大いに予想できる。
さらにいえば、仮に20代、30代が全員投票に行ったとしても、果たして社会をひっくり返すことができるのか疑問は残る。
というとレベルにまで高齢世代と若年世代の人口比はあると言われている。もちろん、若い人の中にも教育よりも違うことに関心のある人もいるだろうし。
つまり、政治が悪いから教育にお金が出ないというわけではない。政治家の悪口を言っても1円も出てこない。