どんな働き方をしようが、教師の給料は変わらない。
年齢によって、違いが生じるだけである。どれだけ残業しても給料が増えるようにはできていない。
反対に、どれだけ仕事をしていなくても、給料が減ることもない。
毎月必ず給料は振り込まれます。一年後も、二年後も、退職しない限りはどのくらいの収入があるか見通しが立つ。もちろん、倒産することもない。
さらには、税金や保険なども天引きされているから、だんだんお金のことに無頓着になってくる。
12月の年末調整で保険などの申請をするのも、子どもの扶養手当をもらうための申請も、それほどに難しい書類を書くわけでもないにも関わらず、私は毎年事務室に相談に行ってなんとか出していた。今思えば、反省ばかりである。
こうした中にずっといると、仕事と給料は分離してくる。給料は給料、仕事は仕事なのだ。考え方によって、これはある種の「ベーシックインカム」のようにも思えてくる。学校に所属していることによって、給料が保証されている状態である。
これはプラスの面もあれば、マイナスの面もある。
まずはプラスの面。
教育の仕事は、利益を得るための仕事ではないので、今すぐ結果が出るとは限らない。その時の教育が数か月後もしかしたら数年後に生かされてくるかもしれない。
そのような仕事においては今の成果だけを給料の指標されると、むしろ悪影響を及ぼす危険もある。
また、仕事の独自性が維持される。
原則として校区の中にある学校に通うことが決められている制度の中においては、子どもに教師を選ぶことができない。そうした制度の中では、年に一度の担任の交代は、多様性を保証する一つのシステムになっている。
いろんな教師がいて、いろんな指導法を展開できることによって、子どもたちがいろんな大人に出会い、いろんな学びを得ることにつながっている。
教師も一つの指導法に縛られるのではなく、自分で調べ、考え、授業を準備するという自由が保障されている(はず)。その自由度の高さが、総じて日本の学力を維持してきたという面はあるだろうと思っている。
もちろん、人によってはプラス面を逆手に取る人もいるだろうが、全体を見たときに役に立つ側面もあったと言えるだろう。