紙の保存はいらない
これは教頭職というより行政そのものへの提言である。
以前の役所の仕事は、紙が行き来することで情報が流れるシステムだった。
人間は忘れるし、ミスもするので、紙に記録しそれをやり取りすることで情報の伝達をしていたことは、よく理解できる。
膨大な仕事があるために記録のための紙も膨大に必要となる。
しかし、今はほぼデジタルである。
ここで冷静になって考えなければならない。
我々が必要としているのは物理的な紙なのではなく、そこに示されている情報なのである。
要件がすめば(保存という意味以外に)紙は不要なのである。
学校にも情報はメールでやってくる。デジタル化である。
やってきたメールは一時的にフォルダに保管されている。
送った情報も然りである。
つまり、保管場所を探せば、紙の時と同じように過去の情報に触れることができる。
にもかかわらず、紙も保管しろという話はやはりどこか変である。
何のために、という問いにおそらく明確な答えはない。
デジタルデータは突然の消去の危険があるので、念のために紙でも取っておくという理屈もある。
万が一を言うなら、火事で消去するかもしれないので、石板にでも彫っておくべきか。
要するに新しいことは不安だから、今のままのシステムも残しておいて、という話だろう。
学校の文書保管庫に以前の文書が保管されている。
大半の文書は、5年経ったら廃棄する。5年経ったら廃棄してもいい、なのか、5年以上情報を残すなということなのか分からない。
ともあれ、紙を残しておくスペースもないので、処分することになる。
処分しながら複雑な気持ちである。自分が苦労して作成し、分類、管理している今の文書も、5年後にはなくなるのである。
必要な情報はすでに送り、何らかの形で仕事として活用されたはずである。5年間保管する意味もあまり感じない。
ある人に聞いたら「保管は監査のためだろう」って。それこそお笑いである。デジタルデータを5年保管できるサーバを用意していつでも見られるようにしておけばいい。
おそらくは行政に関わる内規のどこかに「紙による保管」が明記されているのだろう。そこを改善しないから、変わらないだろう。
改革の段取りが悪いために、中央から末端まで組織全体がしなくていい苦労をしている。
紙はいらない。