生涯の時間
誰でもそうだろうが、新任の頃や初めて持つ学年の時は、どうしても時間がかかる。
子育てや親の介護があるわけではない場合、時間は自分のためだけに使えていたので、9時でも10時でも残って仕事をすることができた。(やろうと思えば。)
そして、仕事を何か一つなし終えたときに、ある種の達成感を感じるのもよく分かる。
私も大きな行事や研究授業に向けて、それなりの準備で取り組み、終わった後の手ごたえをおよく記憶している。
やがて経験を重ねていくと短い時間でいろいろなことができるようになってくる。時間割一つ作るのにもちょっとした工夫であっという間にできるようになる。
行事や授業の準備も、前ほどはかからなくなる。
しかし、「自分の中の退勤時間」が9時にセットされたままだと、早く終われるのにやはり9時に帰るようになってしまう。それが自分の生活のリズムになりかかっている。
たまに早めに帰ることはあっても「いつもの自分なら9時でも大丈夫」と保険をかけている。
これが典型的な「パーキンソンの法則」である。時間をあるだけ使おうとしてしまっている。
仮に、人生が20代から60代まで全く変わらない生活だとする。
毎日9時に退勤する人と、毎日7時に退勤する人では、どれほどの差が出るだろうか。
学校に子どもがいる日はおよそ年間200日。毎日2時間の差、それが40年。
式 2時間×200日×40年=16000時間
1日8時間勤務として2000日分、つまり10年分の超勤です。あくまでも単純計算だが。
我が子の子育て、親の介護、自分の病気など、仕事よりも優先されるべきことが生じた人はやむなく早めに帰ることになる。
そのときに、多くの人は「今までより使える時間が減って、仕事が回らなくなるのではないか。」と心配をする。
しかし、多くの場合は杞憂に終わる。
むしろ効率がよくなって前よりもいい授業ができるようになる場合すらある。
そのときに生じる変化は何なのだろう。同じ人間なのに、置かれている状況が変わると、行動も変わってしまう。
それをまだ「時間があるうち」に考えて、実行してみる。
仕事をさぼるのではない。ほんの少しずつ切り詰めたり、圧縮したり、無駄をけずって少しずつ時間を圧縮していく。例えば、前にもご紹介したように、テストの採点時間を切り詰めるだけで教師としての生涯時間がどれほど短縮されるだろうか。