無自覚の恐ろしさ
ネットワークの中における教師の立ち位置についてもう少し加える。
特に学級が始まったばかりの4月や5月では、教師の影響力が最も大きい。繰り返すが、学級というネットワークの中で、誰よりも多くの子どもたちとつながり、そのバネは太く強い存在である。
教師の立ち位置によって、まるでバネに引っ張られるように全ての子どもたちの立ち位置も変わってくる。
何気ない一言が、学級全体のネットワークに影響を与えている。
言葉だけでなく、表情や態度によって影響を与えていることの方が多いかもしれない。
ある子どもを𠮟ることがあったとする。
教師がその子どもを叱っている姿は、他の子どもたちも見ている。休み時間のように自由にしているような場であっても、見ている。言葉が聞き取れなくても、雰囲気を探ろうとしている。
繰り返すが、教師はその子どもを叱って指導することを考えると同時に、その姿が周りの子どもたちにどう見えているかを自覚していなければならない。
穏やかに諭しているのか、きつい言葉で伝えているのか、長い時間か、短く切り上げたのか、叱られている子どもの方は納得しているのか、不満を持っているのか、そうしたことが周りの子どもたちの中にインプットされている。
子どもたちは、そうした情報を常にインプットしながら、新しい学級における人間関係を創り出そうとしている。
ある子どもを叱っていることが、周りの子どもたちにも納得のいくようなものであるかどうかは常にメタ認知が必要となる。
同じようなことが前にも起こったのに、教師の対応が異なるようなことはないか。子どもたちによって厳しく叱られる子と、すぐに許してもらえる子がいないか。仮にあったとしても、それは許される状況なのか、否か。
学級というネットワークの中に、教師は最も大きな存在として組み込まれている。
傍観者ではない。そう考えると、ネットワークを活用した学級経営の方法も創り出すことができる。