人権啓発や交通安全などの標語を学校に依頼されることがしばしばある。
主催者側にしてみれば、子どもたちからの作品があれば、全体として華やかに見えるし人目も引くのだろう。
しかし、本当はおかしな話である。
交通安全も人権啓発も、大人が努力をして子どものためにいい社会を作らなければならないものだ。
標語を作らなければならないような社会であることは、子どもの責任ではない。むしろ子どもは被害者であるともいえる。
社会的弱者に啓蒙の呼びかけをさせるという発想が根本的に間違っている。
できる限りこのような取り組みは避けていきたい。
しかし、残念なことに公民館主催で毎年やっている標語応募などの依頼が来るのだ。去年もやっているので、今年もよろしくお願いします、と。
拒絶するわけにもいかないが、子どもたちが主体的になるべきことでもない。
そこで、この活動は「五七五調の言葉のリズムの中に、思いをはめ込む」練習をすると割り切ることにしている。
趣旨を説明し、子どもたちにまずは作らせる。
できた子どもから持ってこさせる。読みながら、アドバイスをする。
一語だけ違う言葉で言い換えてみる。
始めと終わりの五文字を入れ替えてみる。
「安全」という言葉を使わずに「安全」を表してみるなど、声をかけて大量に作らせる。
時間が来たら、その中で気に入ったものを一つ選ばせて、用紙に記入させる。これで完成である。
完成品を提出前に学級通信で紹介する。一石二鳥である。
少し手直しをしただけで雰囲気が変わるので、この時間はなかなか楽しい。ただしこれで世の中が変わることには責任は持てない。
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