教科書「で」?「を」?
かつて「教科書で教える」のか「教科書を教える」のか、という話が教育現場でよくなされていた。
「教科書で」とは、あくまでも教科書は出発点で、そこから広げていく授業を指す。
「教科書を」とは、教科書だけを使い、特に広がりもない授業ということである。
この話は「教科書で教える」方がいい授業だという結論で落ち着く筋書きである。
かつて、ずっとずっと以前、教育現場はどちらかと言えば「反権力的」だった。
国家の言うなりの教育は行わない、という熱い思いがあった。
そうした思いが戦後のさまざまな教育研究団体を生むエネルギーになったという側面はある。
現在、こうしたイデオロギー的な視点は見えなくなってきているが、教科書だけを使って授業をするのは何となく楽をしているかの印象が、今なお教育現場にはないだろうか。
(「そんなものはない」と言ってもらえる方がいいのだが。)
その顕著な例が、研究授業である。
教科書を使って淡々と授業をしても学力は十分に身に付くのに、何かしら新しいものをもってきたり、教科書を使うにしても掲示物や板書のデコレーションをしたりなど、「一工夫」しないといけない空気が、学校現場にはある。
教科書とノートだけを使った研究授業を、どのくらい見たことがあるだろうか。
この何ともはっきりしない感覚が今でも、時折学校の中で顔を出す。
教科書だけでは不完全だからという思いから、もう一つプラスアルファをした方がいいのではないかという感覚にとらわれる。
教材としての教科書のあり方と活用については、別途論じる。
ここでは、その現場に何となく残っている感覚が、教師の多忙感を創り出しているのではないかという、仮説である。
さて、タイトルに対する私の結論である。
「教科書で」だろうが「教科書を」だろうが、どちらでもいい。(笑)
どちらも教師の考え方と力量次第で、どのようにでもなる。教科書の責任にするには、あまりに軽い考えである。