教師の仕事は少年漫画と同じである
経験を重ねていくうちにふと気づいたことがある。
教師の仕事は、少年漫画のストーリーと同じである。
主人公があるとき、敵と出くわし戦うことになる。
はじめのうちは苦戦する。場合によっては一度は負けることもある。
その経験を通して主人公は自分を磨き、敵に勝利する。
主人公は一回り成長するのだが、ある時さらに強い敵に出会う。
そして、戦う。苦戦の末勝利する。勝利したときには、また一回り大きく成長している。
時には、かつての敵が仲間になって、力を合わせてより大きな敵を倒すこともある。
主人公の中には、戦いの中で敵の技を自分のものにしていきながら、自分を強くすることもある。
・・・よくある少年漫画のストーリーだろう。
教師の仕事も同じではないだろうか。
ある時に、指導が大変な子どもと出会う。その子とのかかわりの中で教師も悩み、試行錯誤する。
またある時には、行事の指導や研究授業などで、効果的な指導方法について考え、試行錯誤する。
やがて、子どもへの指導もうまくいき、子どもも楽しそうに学校生活を送る。
あるいは、行事や研究授業もうまく乗り越え、成功を収める。
苦労を乗り越えるたびに、教師は一回り成長する。
いや、苦労しなければ成長しないのではないかと思うくらいである。
ある年に、とても苦労した一年間があったとする。それを乗り越えたのちならば、その後にまた同じような場面に出会っても「あの頃に比べれば、この程度のことくらい。」と思えるようになる。
ある時の経験が、教師を成長させた結果である。
教師としていろんな子どもと出会い、いろんな経験をしていればしているほど、その後の教師人生は大きく変わると思っていい。
修羅場だと思えるような経験を重ねるほどに、知識や経験が増え、精神が強靭になる。
(心が病むほどの経験ならば話は別である。)
一定の経験を経たら、意図的に新しいことに挑戦していく方がいいと思っている。
やったことのない学年の担任を希望したり、校内研究で授業者に立候補したり、学習発表会や運動会、あるいは授業参観などでも新しい内容に取り組むのもいい。
学年全体の指導をしたことがないなら、お願いをしてやってみてもいい。
やったことのない校務分掌なども引き受けてみるといい。
大変な子どもがいるのだが、引き受けてくれないかと管理職に頼まれたら、十分に相談したうえで、引き受けてみる価値もある。
そうした意図的な挑戦があるかないかで、10年、あるいは20年経つと、教師としての幅の広がりが全く違ってくる。
残念ながら、いやごとから逃げ続けていると、一定の年齢の過ぎて「大きな敵」と出会っても、戦うすべが分からなくなる。
少年漫画の主人公なら、そこから這い上がってくるのだが、教師の場合は負けた原因を他人にかぶせて終わりとなる。
今ある状況は次へのステップだと思えるだけで、問題解決の道筋は変わってくる。