教職は専門職であり、芸事でもある。
教師という仕事は本来、専門職である(ことが理想だと思う)。
子どもの成長に関する専門的な知識を持っていて、社会状況などにもある程度精通し、教えることを専門にする仕事である。
と、簡単に書いたが、これだけでも実は大変なことである。
いわゆる教育心理学や教育社会学だけを学んでいればいいだけでなく、最近で言えば特別支援教育に関する知識や実技もほとんど不可欠になっている。教科の学習も幅が広く、一つの教科だけでもとても障害では学びつくせないだけの先人の歴史がある。
仮に、一定の水準において専門職と呼べる水準になったとしよう。
しかし、知識があったとしてもそれを活用することは全く別問題である。
教師の仕事は「教える」という行動が必ず伴う。
教えるためには、知識も必要不可欠だが、「教え方」という全く別の課題がある。
子どもたちの状況に合わせて、対応し、問い、指示を出し、活動をさせながら、身につけさせていく。
子どもに話を聞かせるだけでも力量が必要な上に、それお飽きさせずに続けることや、さらには学習内容を子どもたちに伝えることははるかに水準が高くなる。
子どもの前に立つ教師の仕事は、専門的な知識の伝授というよりは、まさに芸事である。話を伝える技量を磨き、その時の状況に応じて変化をさせつつ、子どもたちに日々伝えてく。
教師の仕事の難しさの一つがここにある。
知識とは別に、伝える力が求められる。その伝える力は、個人の能力にとても依存する。日々の意識的な実践や練習なくしては、上達はあり得ない。
「授業がうまい」と言われる人は、この部分が秀でていると言える。
同じセリフを別の教師が口に出しても、同じように伝わるとは限らない。ある教師の話はどの子どもも熱心に聞くが、別の教師ではそうならないという話はとてもよく聞く。
研究授業や初任者研修などでも、この教師の技量を「芸事」の側面から見る人はすくないだろう。個人の能力に依存しやすく、トレーニングの方法が分かりにくい「芸事的祖側面」を指導できる先輩教師が圧倒的に少ないからである。