学校教育に限ることではないかもしれません。人が人に何か伝えようとするときに、まず気を付けるのは声です。
同じことを話していても、人を引き付ける場合とそうでない場合があるのは、まず声の違いを考えてみるといいです。
この場合、声がいいというのは声楽的な意味を持つものではありません。ボイストレーニングを受けた方がいいという話でもありません。
人によって声はさまざまです。男女の差だけでなく、声質はまさに千差万別です。中にはもって生まれた声が聞き取りやすく、安心させるような声質の方もいらっしゃるでしょう。
それがごく自然なことです。
話している人自身に、声を届ける意思があるのかどうかは、とても大切なことなのです。
教室を想定して、一番後ろの子どもたちや両端で視線の届きにくそうな子どもたちにも、自分の声が届いているかを確認しながら、話していくのです。
声が小さくて教室の隅まで届かないという方が、時折います。
実は、何の意識もしないでいると、それが普通なのです。
学校という場所は、教室という一定の広さの中に、30人程度の子どもがいます。そのような場所と状況の中で、話をするという経験は、日常生活にはありません。
教室という場所は、いわゆる「業界」特有の環境なのです。その特殊な状況の中で声を出すには、当然のことながら一定の経験が必要となります。
アナウンサーはマイクでひろったときに適度に聞こえる声、役者は(時にマイクを付けているとはいえ)劇場の隅々に届かせようとする声、それぞれに特徴があります。
教室という環境もまた固有の業界のもつ特殊な状況なのです。
特に子どもたちというのは、大人よりも声が比較的高いです。ずっと教室で話していると、いつの間にか教師も子どもたちと同じようなトーンで話しています。
そういう状況の中で、声を届かせるのは、まず届かせたい、届いているのかという話し手の意志です。この意志が声をよくしていく基本中の基本です。
ボイストレーニングをするべきかどうかは、そのあとでも遅くありません。きっと不要であることにあとから気づくと思いますが。