器械運動 全般2 「恐怖を克服する体育をやめる」
体育の学習で「勇気で克服する」と言うことが子どものやる気であると考える人はいないだろうか。
勇気で克服することは、子どもを体育嫌いにすることが多い。
跳び箱が跳べない子どもがいる。その子どもが「勇気がない」わけではない。
子どもに足りないのは「勇気」ではなく「運動の感覚」なのである。
跳び箱運動を行う時に、次のような話をする。
「怖いと思って跳ぶことは絶対にやめたほうがいい。その距離を跳んで気持ちいいと思える距離で跳ぶことだ。」
運動をしながら気持ちいいという感覚がない場合は、まだその運動感覚が十分に身についていないということである。
跳び箱であるならば空中を「ふわっと」一瞬浮いた感覚を気持ちいいと感じなければ、次の大きな技に挑戦しようとはしない。また、させるべきではない。
「本人の気持ちいい感覚をばかり大切にしていると、発展性がなくなるのではないか。練習しなくなるのではないか。」という、反論が出るかもしれない。
しかし、私が授業をしたときには多くの場合はそうはならなかった。
ある感覚を十分に満足すると、人間は次の刺激を求めたくなるものである。これは感覚に対する耐性ができるからである。
運動でもそれを気持ちいいと十分に感じることができたら、さらに刺激的な方向へ向かいたくなる。
それが次の技への意欲なのである。これは個人差がある。この個人差をどうやって学習の中に取り入れるかで個人の運動への楽しさを保証できるかが決まる。