会議は合意形成の場である

働き方改革

会議は合意形成の場である

 教師が本業に集中するためには、会議の時間は限りなくゼロに近い方がいい。
 しかし、完全にゼロにはできない。

 学校が完全に学級単位で動くシステムであれば職員間で行われる会議は不要だろう。しかし、学校全体としての組織として動く限りは、どこかで合意形成の場が必要となる。

 そう、学校における会議とは合意形成の場である。

 同じ方向を見て、互いが仕事を分担にして進んでいくための準備の場である。
 会議の中で合意形成がなされるならば、学校の中で実施される行事などについては、教師一人が進めていくよりもはるかに教育効果の高い取り組みができる。
 それが可能であれば、会議の時間はゼロにならなくとも、教育効果を上げるという点では働き方改革になるだろう。

 反対に、会議で決まったことが徹底しておらず職員がばらばらに動くようであれば、会議の時間は短かろうと、教育活動そのものに支障が出てきて返って効率が悪くなる。

 合意形成を会議の目的と考え、その目的のみを達成するために仕組みを変えることは可能である。それができれば、会議の時間はゼロにはならずとも、限りなく短縮することは可能である。

 かつて職員会議とは(全国すべてではないだろうが)組合と管理職の戦いの場であった時代がある。思想信条とめぐって延々と議論が続くような場であった。

 そこは戦いの場であり、勝ち負けを付けることが参加者である職員の主眼になっているから、終わらない。延々と続く。どこかに落としどころがあったとしても、それは授業や子どもには直接関係のない落としどころであったりした。

 今風に言えば、実に生産性のない会議だった。

 対決の場を経て、次は自己主張の場になるところもあった。

 学校の仕事は職員全てで分担しているのだから、それぞれの立場からの主張がある。

 にもかかわらず、あらゆる提案が自分の意のままになければ気が済まない人がいて、いちいち意見を言う。
 意見を言うことそのものは悪いことではないのだが、タイミングが悪い。大きな流れが決まっているところでひっくり返すような意見を言ったり、大差のないような些末なことでにこだわって主張を譲らないということがある。
 職員会議でなくても、学年の話し合いの中でもこうしたことがしばしば生じる。

 会議は合意形成の場だととらえて、設計し直す必要がある。
 全ての提案が自分の意に添わずとも、それで全体が動くのであれば理解し、推進する立ち位置を取ることも必要である。

 どうしても譲れないことが生じるとすれば、それは会議以前の部分に課題があると考えた方がいい。

 当然のことながら、提案は事前に学校長の目を通していなければならない。
 学校長の承認の下で提案されることであるから、前提がひっくり返るようなことはならないはずである。

 次に、提案の内容は、その主旨・目的から具体的な動きや日程に至るまで、簡明に記されていなければならない。
 その提案によって、後日行事等が動くわけだから、提案はそのままマニュアルになる。

 学校内での提案は、基本的に昨年度の実施を踏まえているはずなので、昨年度との違いとその根拠を明示しておかなければならない。
 昨年度の実施後に反省が出されて改善が必要であったのなら、そのことを明記する必要がある。

 また、昨年度の段階で大きな変更がなされる場合は、昨年度内に一度方針の転換について確認の議論が必要となるだろう。
 直前になって「実は昨年度の課題はこうでしたので、今年度は大幅に変更します。」と言われても、職員全体としては見通しが立たないだろう。こういう議論になると、話し合いも長くなる。

 さて、どうしても原案と意見が分かれる場合は、どうすればいいか。

 ここは大きく二つの方法を述べたい。

 一つは校長決裁である。最終的には校長判断であることを踏まえれば、基本の骨格となる部分についての変更は校長自信がすべきである。

 二つ目は「原案主義」である。つまり、意見が分かれまとまらない場合は、原案を優先する。提案者がそのまま実行責任者になるのだから、その提案者の意に沿うことが実行する上で望ましい。

 こうしたシステムを通したうえで、職員会を「共通の理念に従い、共通の取り組みをするための合意形成」をしていくのであれば、会議は有効に進む。

 それは、単に会議の時間が短いというだけでなく、話し合ったことが実行されたときに効果的に運営されることを意味する。

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