ネットワーク論から見る「黄金の三日間」
新しい学級が始まる4月。出会いの三日間の重要性は、「黄金の三日間」という言葉で広く教師の世界では認められてきた。
これをネットワーク論で説明する。
四月、学級編成が行われる。子どもたちは昨年度までの学級から、メンバーの入れ替わる新しい学級へと進級する。
三月までに作り上げてきたネットワークは、一部を残しつつ基本的に解体させられる。
そして、新しい教室という「箱」の中に、新しいメンバーとともに入れられる。
当然のことながら、そこには脆弱なネットワークしか存在していない。互いが互いを知らないために、つながりようがない状況がある。
そこに、全ての子どもたちと強力なネットワークを形成できる人が一人だけいる。
担任教師である。
教室で唯一の「大人」である担任教師は、否応がなしに、子どもたちに当てにされる存在になる。期待されるということだ。
学級開きから、教師は言葉、表情、立ち居振る舞い、あるいは授業によって子どもたちへつながろうというメッセージを送っている。子どもたちにそれが受け入れられれば、まずネットワーク形成の第一歩が始まる。
ここで教師が成功すれば、まず学級の中には、教師を中心とした放射状のネットワークが形成されていくのである。
先にも述べた通り、教師は教室での唯一の大人であり、同じネットワークの中にあっても最も強大な存在である。その位置から放射状に(つまり子ども間のネットワークがまだ弱い状態で)形成されるネットワークでは、当然ながら教師からのメッセージの方がより強く流れることになる。
教師の話が最も通りやすいのは、こうした「ネットワークの初期化状態」にあるからだ。
「黄金の三日間」で失敗するとすれば、①子ども間にすでに強力なネットワークがあり、それが教師の作る影響力よりも強い場合、②個人の存在として教師よりも影響力を与える子どもがいた場合、③教師が初めに形成しようとした「放射状ネットワーク」構築に失敗した場合(つまり、出会いの話が失敗した)などが想定される。